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シリーズ「私と指笛」

自分にできる精一杯のことをしよう

心の友 村山 壮人

 田村大三『指笛音楽65周年』のアルバムにサインしてもらう時、中扉の下に横書きのサインをして下さった後、眠っちまったのかなァ、考えているのかなァ、いきしてるのかなァと心配になった頃、も一度ペンが動いた。
 そこには  <<心の友 村山壮人君>>   と記されてあった。
 昭和42年12月17日、社会教育団体・心の家青年部(タンポポ会)初集会にゲストとして出席して下さったのが大三先生との出会いだった。曲は「口笛吹きと子犬」「荒城の月」だったと思う。
 以後
たんぽぽ会の集会は全国あちこちで開かれるようになり、その都度大三先生に出席して頂き、「我らの先輩にはこういう偉大な人がいるのだ」と吹聴し、人寄せパンダ役をして頂いた。
 昭和51年から54年の間、私が心の家中央部の事務局長として働いていた間はもっと苛酷に先生を引っ張りだし、先生も快く出向いてくださった。指笛演奏もさることながら、社会事業家後藤静香が当時の若者に与えた影響、心の家の目ざすもの、人生なにゆえに在るのか等
々、あの独特な風貌で語ってもらうと、講演の中で取り挙げてもらった心の家発行の書籍は、あっという間に売り切れになった。
 当時、東京善意銀行友の会の副会長であった先生は、『持てるもので奉仕しよう』と盛んに叫ばれた。金を持っている者は金で、学生や若者は時間を持っているのだから時間を提供し、アイディア、特殊技能、職業を通じてでも奉仕はできると叫ばれた。
 多年のご交誼を頂いているうちに、私も指笛らしき音を出せるようになり、この5月の発表会に初参加させてもらった。しかし皆さんのように幾年も月謝を払って修得したものではない。だから、「弟子」ではないのだ。
 しかし、「持てるもので奉仕する」「お前は何のために生まれてきたのか」「欠陥より欠陥へと身をささげる生涯が、使命より使命への充実したる生涯である」等々、後藤イズムで生きる「心の友」として仲間に加えて頂き感激、感動している。
 昨今、私は会社でも家庭でも、ボランティアでお世話している少年サッカーの親にも子にも、『その時自分にできる精一杯のことをしよう!』と訴えている。
 自分の持てる能力をフルに活かして、精一杯のことをして、もしそれが不満足の結果しか得られなかったとしても、それはそれで仕方ないと思う。成功に結びつくよう反省もするけれど、精一杯やったんだからあきらめもつく。
  ♪♪♪指笛吹いて、帰ろう……♪♪♪  三橋美智也の古い唄にある。一生懸命、精一杯生きて、あとは指笛吹いて明日の英気を養おう。

 

ゴメラ島の指笛ご存知ですか

 昨年の秋頃、日本テレビの「世界まる見え!テレビ特捜部」という番組で、スペインのカナリア諸島の一つゴメラ島における指笛の様子を放映しました。ゴメラ島では昔から指笛を通信手段として使っていました。例えば、遥か離れた人に向かってピッパッピーと吹くと、相手がポーピップーと応えます。これで「どこ行くの」「街まで」というように会話になるわけです。フランスの学者の研究によると、指笛は人の声と違って2kmぐらい遠方まで届くそうです。この番組に田村先生が出演なさり、日本では指笛でメロディーを奏でていることを紹介しました。
 しかし近年はゴメラ島でも機器による通信手段が発達し、指笛を使う人が少なくなりました。これでは島の伝統文化が消滅してしまうということで、熱心なリーダーの運動が実って、小学校で指笛を教えるようになりました。
 私達は先生宅での今年の新年会の折に、改めてその録画を拝見し大変興味をそそられました。吹き方(指の使い方)も私達のと大変よく似ています。しかしメロディーは吹いていないようです。気づいていないのかなぁー。それとも吹き方が違うのかなー。とにかく気掛かりです。誰もがゴメラ島に行ってみたいなと感じました。
 6月10日指笛音楽研究発表会の打ち上げの席でこの話が再燃しました。ゴメラ島にいってみようよ。日本の指笛を吹いて文化交流をしよう。アルコールの勢いも加わって気分はゴメラ島に飛んでしまいました。
 その後、村山壮人氏が旅行業者2社と折衝し日程案と費用について資料を入手しました。時期的、時間的(事前準備)な都合で本年の実施は困難ですが、時間をかけじっくり案を練直し来年にはぜひゴメラ島を訪問したいものと思っています。
 実施案がまとまりましたら皆様に参加を呼びかけますのでご検討ください。

(斎藤記)

★暑さ本番ですが指笛吹いて元気元気で凌ぎましょう!

 

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