楽友会通信 NO.6     楽友会へもどる  目次に戻る

2000.4.15 指笛楽友会発行 より転載


父から与えられた大切な言葉

松島 恵 (三女、楽友会顧問)

 

 私がまだ小学生の頃、当時中野にあった指笛の家では、父の恩師で社会教育運動家 故 後藤静香先生著の「権威」を読む会が、合同練習と共に行われていました。 読むためのときがもたれた後、どの詩に心が動いたかを個々が発表するのです。選んだ理由も述べますが、評価などはせず、ただ輪の順に読み合い聞き合うのです。幼い私でも心にじんと来る、静かなのに燃えているようなその時間は真剣そのもので、自らも詩を選び読み上げたものでした。後半は、選ばれたその詩は私も好き・・・というようなディスカッションをするのですが、話す内に熱いものがこみ上げ、肥が震え涙する者も、私を含め少なくありませんでした。

 指笛は今日、生まれ出た父から幾多にも枝分かれをして、一人歩きを始めました。しかし、田村大三の指笛は何が違うのかを知りえるものだけが、真の指笛演奏家だと私は思っています。父から何度も繰り返し聞かされた言葉の中に“個性、国際性、宗教性”(を身につけよ。)と、無教会派牧師、故内村鑑三の I for Japan, Japan for the world and the world for God! とがあります。正に今私は、この父の大切にしている信念の中で生かされています。私をよく知る方々に「お名前の通り恵まれましたね。」と度々言って頂き、誠に感謝しつつここでもまた、父の言葉がこだまします。恵まれるだけに留まらず、“栄光を神に帰する!”ことと・・・。必ずしも平坦ではなかった人生を、父が全うし得たのは “勇者は一人立つ時最も強し”という言葉であったことも記憶しています。

 私が道の迷うことがある度に、父はただ一言、「恵は大丈夫だ。絶対に間違いは無い。僕は信じている。」と力強く言ってくれました。 親から子への、これ以上の愛情があるでしょうか。私も一児の母となり、同じ様に子供を信ずる親になろうと必死です。信ずる力の大きさは、指笛を吹きたいと願う人からも学ぶことができます。途中であきらめてしまう人と、とことん練習してみる人。『吹きたい』から『吹けるんだ』という確信に至った時、あの「ピー!」という感激の第一音が出るのではないでしょうか。

 最後に、父の意外な面を垣間見ることができる、こんなエピソードを恥ずかしながらご紹介します。私の主人が結婚の承諾を得る為やってきた時の事。実母は他界、泉姉は嫁ぎ、父と二人きりの生活だった頃です。普段口下手の彼が宣言した後父が、「恵、ケーキを買ってあるから持っていらっしゃい。」と言うのです。冷蔵庫からそろそろと取り出しふたを開けますと、それは、細かく削られたホワイトチョコレートがふんだんにかかった、真っ白なケーキでした。そこで父が彼に言ったのです。「今の恵は丁度このケーキのように真っ白です。どうぞ、あなたの好きな色に染めてあげて下さい。」と・・・。そんなあふれる愛に育まれ、愛こそ尊いと教えられてまいりました。

 どうぞ今、何の因果かお名前を連ねられている皆さん、原点に立ち返った指笛を其々のものとなさって下さい。父が神保町すずらん通りで、たすき掛けにした“全地よ、愛に帰れ!”のスローガンを胸に。



シリーズ 『私と指笛』


------  指  笛  ------

杉田 隆則 (本会会員)

 

 15歳頃から始めた小生の指笛も59歳となった今、どれくれい進歩したのかと思うとき、正直いって複雑な気持ちになります。多分この中にはかなり後悔の念も含まれているはずです。今、この原稿を睨みながら自問自答しているところです。

 レッスンを受けていたあの頃、「中野時代」では、いつも「コントロール」することに悩まされ続けていました。おそらく当時の小生が持っていた音楽や周辺知識では解決できない問題がたくさんあったものと思われます。

 あれからいかほどの成長や解決が見られたのか、進歩があったのか、確かではありませんがとにかくまだ指笛は続いております。それにつけても随分と年月が掛かったものだなぁーと、今更ながら思う次第です。おそらくこれからも・・・そういうことでしょう。

 若年時代の指笛は、若さ故はなはだ未完成であって、仕事柄の立場上成り行きでもってステージをこなしたり、無意味なパワーを駆使したりもして、今思い出してみても“赤面モノ”であったわけです。指笛の音楽性云々より、その前段階での諸々のことで挫折してしまうケースがままあり、これまた不本意な結果の連続でした。たまにいい思い出もチラホラありましたが、何か荒涼とした砂漠の中を歩いてきたような感じがします。

 しかし、指笛の濃やかなイマジネーションと魅惑に引き摺られて、辞めずに来られたのも事実でした。

 これから先のレッスンの具現化としてのフィールドを求めて、もうひと踏ん張りしてみようと思う今日この頃です。因みに指笛のレッスン、イコールハードワークと位置付け邁進しております。

 東京都中野区中野5-15-2 指笛の家内「田村指笛音楽学院楽友会」。当時の会員証のコピーですが、あの時、あのサロン(応接間?)での、大三、美都子 両先生の指笛とピアノのライブは、小生の体内で稲妻と化し、その衝撃的な出会いが、今日今こうして小生を指笛に走らせているのかもしれません。

 すでに窓際族楽友会会員ではありますが、体力の続く限り精進し、百尺竿頭を夢見ています。


-------指笛音楽との出会い--------

青山 久美子 (本会 会員)

田村先生ご一家と指笛に出会ったのは、もう35年も前のことになります。新潟県の栃尾という雪深い所で高校を卒業し、大学受験に失敗し、地元の織物工場で働きながら、独学で一年後再挑戦しようと悲壮な決意をしていた春でした。その前年は、母が行き始めていた小さなキリスト教の伝道所で母からはじめて父、妹と次々と受洗した記念すべき年でした。その栃尾伝道所の伝道集会に田村先生ご夫妻が招かれて音楽のご奉仕をされたのでした。雪の残る寒い夜でしたが、会場の小学校の体育館で牧師のお話の後、田村先生が指笛を演奏されました。「丘に立てる荒削りの十字架」という成果でした。先生の全身全霊を打ち込んで吹かれるその美しく力強い音色に、私の魂はまさに釘付けになりました。神様は何てすごいんだ、とその時思ったことを覚えています。その次に美津子先生のソプラノです。「美しの白百合」という賛美歌でした。

 田舎で育った私にはソプラノを聴く機会はありませんでした。その透明な歌声に本当に深く心を揺すぶられたのでした。音楽が好きで特に声楽曲が好きで、一人で本を買ってきて覚えて歌っていた高校時代でしたので、この夜は大変印象深い夜になりました。

 栃尾伝道所(現在は大きな教会になっていますが) の故酒井牧師と田村先生ご夫妻の間で私のことが話題になったのでしょう。東京の大学を受験したいのなら東京に出て先生の家の手伝いをしながら、予備校に通って勉強しないかという話が出たのです。独学で挑むには厳しいものを感じておりましたので、両親と相談し、先生のお宅にお世話になることになったのでした。

 一年近くの予備校生活を経て翌年の春再度志望校を受験、そして失敗。結局あきらめて私大に決め、四月には先生のお宅を辞すことにしていた矢先、何気なく指をくわえて吹いたとき音が出たのです。それは大きな喜びで、新宿の街の雑踏を歩きながら、何度も音の出ることを確認したことを覚えています。指笛がふけるなら先生のステージを手伝わないかということになり、結局、大学を卒業するまで更に4年お世話になりました。本業の学生と先生のお家の手伝いの両立はやはり大変なこと、様々な学びと経験を経て、卒業後新潟の高校に就職しました。

 東京を離れてからは指笛を吹く機会もあまりありません。演奏のチャンスがあるとその2〜3週間前に練習を始めます。普段吹いていないので指が痛み、腫れ、つぶれ、そしてようやく固まってタコになる頃少しよい音色が出るようになるという具合です。指笛の真髄は人の魂に触れることだと思っています。人の心を揺さぶるような指笛を吹きたい、それが私の念願ですが、実際には程遠い現実の生活があります。

 現在、名古屋で、仕事と家事、雑事に追われる毎日ですが、指笛の皆様のお仲間に加えて頂いていることはとても嬉しいことです。田村先生の生み出された指笛音楽の使命を引き継いでいけるものでありたいと思います。


<私の指笛活動>

『二人でつむぐ リーナペピエ』

結城 リー (本会会員)

 私こと ゆうき理 (リー) と愛すべき我が心の友RNナーナさんは、去年もリーナペピエとして楽しく陽気に指をくわえ、ある時は踊り、ある時はスキャットなど口ずさみ、いそいそ、わくわく、うれしいよーののりで、指笛とお付き合いさせていただきました。

 毎週1回2時間程、なんとカラオケルームで楽しい話に花を咲かせながらも、けっこうバッチリ練習しています。

 一曲一曲に振り付けするのもとても大変なんてとんでもない。楽しい楽しい時間なんです。それに忘れてはいけないのが、そう衣装なんです。RNナーナさんの上品にしてキュートなアイディアには、わたくし、負けましたわ。かわいい衣装を着て(ある時は貴族的ですらあるのです、これが)おどっちゃう、これだけでも、幸せじゃなくてなんぞや。ドストエスキー。それにコーラスの経験を生かした素敵な選曲も、最近は殆どおまかせ。ナーナさんに感謝!ナーナさ〜んお互いに健康に注意して、元気に人生を楽しみましょう!ドストエスキー、これが二人の今の気持ちです。

<1999年度のあゆみ>

2/27 国立診療所 Day Care ボランティア

9/26 ボーカル発表会に指笛で参加
4/03 田村大三指笛音楽65周年記念コンサート 10/09 全国自動車普及協会ゲスト出演
5/26 Day Care ボランティア 10/24 ピアノ発表会に指笛で参加
7/25 新宿55広場 善意銀行チャリティー 11/03 立川はらっぱまつり
8/25 Day Care ボランティア 12/20 Day Care クリスマスメニューで
9/12 立川大空まつり 12/24 保育所「こどもの家」クリスマス会にゲスト出演

 3ヶ月に一度の割合で「国立診療所」に出向き、20名くらいのお年寄りの前で、衣装もきめて二人で指笛を演奏しています。

 (RNナーナこと長尾さん)お年寄りになぞなぞや難しい漢字当て(ex.如雨露)クイズなども織り混ぜ、リクエスト曲に答えながら指笛を吹いています。

 (お二人は街頭でも衣装を決め込んで演奏しているそうです。一度こっそり覗いてみたいものですね。)




秋田仙北町第二回指笛講習会報告

 仙北町第二回指笛講習会を年内にとのことで、2月26日(土)午後と27日(日)午前の日程で、水沼・田代と青森から塩谷の3名で行いました。出迎えていただいた事務局長山崎様の話によりますと、昨日(25日)は一寸先も見えない猛吹雪で一晩で1m程の積雪になった由で、仙北は一面の雪景色でした。

 会場では「仙北町ふれあい文化センター」の大ホール。事前に子供達を勧誘して10名の申し込みを受けているが、この雪では果たしてどうなるのかの危惧も無く、申込者全員が参加してくれました。講習は指笛を聴いたことのない子供たちのために先ず水沼・塩谷の両名による演奏で幕をあけました。引き続いて3名で手分けしての講習に入りました。低学年の女子6名を塩谷、高学年(中一と小五の女子)は田代、大人対象は水沼と、3組に分かれてそれぞれの指導の下に指笛の練習を行いました。

 田代が受け持った中一生は以前から歯と舌を使って吹いていた由で、指をくわえて思いきって息を出す方法にはなじめ難い様子でした。他方小五の女子は悪戦苦闘の末瞬間的に指笛の音色である“ピッ”ができました。

 低学年の指導をした塩谷さんは、小学生の扱いに慣れているベテランだけあって、1時間半の長時間を指を使っての面白さとゲームをはさんで、子供たちを飽きさせずに取り組まれました。

 大人達を受け持った水沼さんは、既に指笛の吹き方についての概念を持っている方達で、練習曲「蝶々」の程度に至りました。特に後藤様(仙北町芸術文化協会長)は尺八の素養があられる点で指笛の練習ぶりは全く素晴らしい有様でした。

 二日目は、会場は3階の豪華な気分になるサロン。小5の男子3名が新たに加わり、また公民館館長藤井様も講習会に参加してくださいました。講習は、水沼さんが、「指笛の吹き方」のパンフレットを使い、各項目について解説を交えながらの指導。指をくわえたときの口中でのなじみが指笛を吹く上で大切である旨を強調。塩谷さんは昨日に引き続いてすっかりなじみになった子供達と、また男子の指導は水沼さんが当たりました。

 二日間の講習を通して参加した子供たちが、指笛を知り関心を持ちつづけてくれるよう願っての第二回講習会でした。今回の講習会では仙北町芸術文化協会会長 後藤様並びに事務局長 山崎様にはたいへんお世話になり心から感謝申し上げます。

 

田代順一記


小学生の部を担当して

塩谷 彰宏(本会会員)

 2月26日(土)2時30分、大曲駅で田代会長、水沼副会長と合流、仙北町芸術文化協会山崎事務局長さんの車で会場に移動した。

 前日までの吹雪がうそのような晴天に恵まれ、絶好の講習日和となった。講習会には十数人の参加者があった。田代会長の挨拶、模範演奏の後、3つのグループに分かれて講習を行った。

 私は小学校の部を担当した。最初に自己紹介をした。

子供たちは、仙北北小学校と仙北南小学校の児童で、3年生は恵美さん、沙也加さんの2人、4年生は紀花さん、ゆき美さん、成美さんの3人、5年生は愛衣さん一人で合計6人だ。

 どの子どもも指笛は初めてだ。はじめに唇を横にピンと張り、下唇が少し下の歯にかかるようにして、おなかの底から「シュッシュッ」と息を出す練習をした。次に息が下のほうへ向かって出るように意識させながら練習した。

 それから、指を鉤型に曲げて、舌の上にのせてくわえさせ、「シュッシュッ」と息を出させるようにさせた。何回も続けた。しかし、つばは出て来るが、なかなか音は出ない。

 小学校の子どもたちである。やっているうちに、集中力が欠けてくる。そこでその場でできる簡単なゲームを交え、気分転換を図りながら進めていった。

 そして、いきなり鉤型に曲げてやるよりも簡単な、両方の人差し指の先をくっつける吹き方を教えてみた。

私が,子どもたちのすぐそばでやってみせ、次に、ウエットティッシュペーパーで子どもたちの指を拭かせた後、私が一人一人の子どもの指をくわえて、音を出し、その感覚をつかませた。

 「シュッシュッ」とやっているうちに、愛衣さんの唇からピーと音が出た。「出た」「出た」と喜んで続けた。続いて恵美さんもでた。

 次の日はバスケットボールの練習がある愛衣さんを除いて、5人の参加があり、紀花さんも音が出た。やはり音が出ると嬉しいようだ。

 結局、二日間の練習で両方の人差し指をくっつける吹き方ではあるが6人の内、3人の子どもの唇からピーと音が出た。

 後は根気強い練習あるのみだ。そして、最終的には、鉤型に曲げてやるフォームで曲を演奏できるまでになってくれることを願っている。

 今回担当してみて感じた事は、田村先生のふるさと秋田県仙北町はもちろん、全国的に後継者を増やすためには、「どうすれば短い時間に確実に音を出せるようになるのか」のノウハウを、私自身もっともっと研究する必要があるということだ。

 講習会が終わってから、田村先生の母校仙北南小学校(当時は高梨小学校)に案内してもらった。雪の校庭に凛と立つ「指笛の里」の記念碑を見ることができ無感量であった。


『指笛音楽公演会並びに講習会を開催して』

仙北町芸術文化協会会長 後藤 敦見

 私が田村大三先生を知りましたのは、国民学校低学年のころに全校の生徒が講堂に集まり、奥様のピアノ伴奏で指笛の演奏をなされたそのときです。「田村大三先生は上高梨のお生まれで、この学校に入り小学校6年生のころに、体育の先生が生徒たちを呼び集めるときに指笛を使っていたことに興味を持ち、校庭のポプラの木の下や、学校の行き帰りに指をくわえては毎日々練習をした。そしたら一ヶ月で音が出るようになったと、現在は東京に住んでおられて、日本全国唯一人の指笛の大家となられたお方です」など、司会の先生から聞いたことが思い出されます。

 平成4年10月には仙北町南小学校(出身校)の校庭に建立された「指笛音楽の里」の落成式が行われております。

 当芸術文化協会では、指笛発祥の地とされるこの仙北町に指笛の奏者、また後継者がいないのは本当に残念なことだ、とのことから役員会で検討し了承を得て、昨年の7月に田村先生宛に当方の趣旨などをお伝えしながら、指笛講習会を開催するに当たってのご指導・ご協力そして講師派遣方をお願いする旨の文書を差し上げましたところ、早速に懇切丁寧なご返答とご快諾がありました。以上のことからこの度の指笛公演会並びに講習会が実現されたのであります。

 平成11年度事業としての、第一回目は、平成11年10月23・24日仙北町文化祭行事に併せての開催としました。

 初めに指笛公演が行われまして、出演者は田村大三先生、山本静海様、中村倫二氏、斎藤秀元氏、有吉憲行氏、河津菊枝さんの6名でした。

 公演会会場には田村先生の同級生も駆け付けてくれていました。

 次いで講習会に入り40名程の受講者がおりましたが、その中には小、中学校の児童生徒が10名参加しておりまして大変心強く思いました。翌日の講習会には受講生は28名でしたが、前日のように小中学校の児童生徒が10名参加しておりました。

 第二回目の講習会は平成12年2月26・27日に開催し、講師には指笛楽友会々長の田代順一氏・副会長の水沼武彦氏・塩谷彰宏氏の3名でした。26日には11名、27日には13名の受講者がおりましたが、第一回のように両日とも小・中学校の児童生徒が参加してくれましたので、嬉しくも頼もしくも思ったところです。

 平成12年度の指笛講習会には今のところ、児童生徒が夏休み期間中と町文化祭に併せての二回とする予定でおります。当仙北町に一日も早い将来、指笛音楽の団体等が誕生されて活躍をしてくれればとその実現を希っておるところでございます。どうぞ今後共変わらぬご指導を賜りますよう節にお願い申し上げます。

 終わりになりましたが、指笛楽友会の益々のご隆盛と会員並びに関係各位のご健勝・ご多幸をご記念申し上げまして、御礼の言葉にかえさせていただきます。この度は誠にありがとうございました。

 


指笛の普及と伝承を目指して (エピソード編)

仙北町芸術文化協会事務局長 山崎 文幸

 昨年から田村先生を始め指笛楽友会の皆様には多大なるご理解のもとに講習会にご協力いただきありがとうございました。細く、長く、辛抱強く仙北町に指笛音楽を根付かせて生きたいと考えておりますので今後ともよろしくお願いいたします。

 講習開始の経緯は後藤会長が紹介いたしますので、私のほうからは講習会のエピソードをいくつか紹介したいと思います。

その一 

 講習会に参加した子ども達が熱中できないわけがありました。

 実は仙北地方には「夜は口笛を吹いてはいけない。」という伝承があります。講習会に参加した子ども達が家に帰ってから夜に練習すると、親に「暗くなったら口笛は吹くな!」と叱られるわけです。せっかく興味を持った子ども達も親に叱られるので練習しなくなってしまうようです。

 夜になったら静かにしなさい。楽曲は慎みなさい。といった教訓から来たようですが、他にも夜に口笛を吹くと風が吹くといって農家の人たちは嫌う傾向があるようです。

 時代も様変わりし,夜はカラオケをしたり・歌番組を家族で見る時世なので、ここらで意識改革して指笛音楽を家族で楽しむようになれば仙北町に根付いてくれると思うのですが・・・

その二

 「事務局が吹けるようになるまでは頑張りましょう。」講習一日目にとうとう音の出なかった私に静海先生や斎藤さんが励ましてくれました。「でも事務局が上手にならない方が講習会が続いていいかも。」といった会話で大いに笑い、今後の講習会について語り合い、懇親会は田村先生好物の川カニを肴に盛り上がりました。

 静海先生・斎藤さん。ご安心下さい。事務局は二日目には音は出たものの前途多難で、講習会はまだまだ続けられそうです。

 でも指笛にも右利き左利きが本当にあるんですね。前日右手で頭が痛くなるほど頑張っても音が出なかったのに、その話を聞いた翌日に左手でやったらすぐ音が出たのには驚きました。どうやら私は左利き?のようです。

 

今後も田村先生ご夫妻・指笛楽友会の皆様とお会いできる日を楽しみにしております。皆様の協力をいただいて一日も早く地元で指導できる人材を育成していきたいと考えておりますのでよろしくご協力をお願いいたします。河津さん・塩谷さんのように日頃から子ども達に接している方たちの指導を見て、仙北町で目指すのはこういった人材育成であることを痛感いたしました。今後ともよろしくお願いします。



事務局より

本号は3月末発行の予定でしたが、とんだハプニングに見舞われました。一つ目は原稿の集まりが良すぎたこと(?)、二つ目は編集子の多忙と体調不良などが重なってエンジンがなかなかかかりませんでした。三つ目が悲劇でした。何日もかかってやっとワープロに入力できたのにフロッピーに書き込み中に、ポット間違えてコンセントを抜いてしまい、すべてがパーになってしまいました。目の前が真っ暗とはこのことでした。一からのやりなおしでしたが、娘が気の毒がってパソコンで応援してくれました。体裁が少々変わったのはそのためです。皆様にご迷惑をおかけいたしました。


指笛楽友会事務局 TEL・FAX 03-3923-9714 田村大三方

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