楽友会通信 No.4

1999.9.15 指笛楽友会発行

目次

『父・田村大三を語る』         中村 洋美 (長女、本会顧問)

『私の指笛活動』            藤好 真也(本会会員)

 

以下本文


 

『父・田村大三を語る』   中村 洋美 (長女、本会顧問)

 長女の中村洋美として父を語れと云われ、あまりにも大きく又あまりにもいろんなことを見たり聞いたりしてきましたので、どこにポイントを置いたらよいのかわかりませんが、ほんの少しだけか照りたいと思います。
 一言に申しましたら、父は、一生を指笛音楽にかけ、現在もただ一筋に歩んでいる指笛馬鹿と云えるでしょうか?人間なかなか馬鹿になり切れず困りますが、父は今も歩みつづけていることに間違いはありません。
 私が物心ついた時、父はすでに世の中に指笛を発表しておりました。しかし誰一人通ったことのない道ですので、その苦労は並大抵のことではなかったと思います。父の部屋から祈っている声を何度も聞きました。又、日比谷公会堂が当たって大喜びで外で回りも気にせず祈っていた父を今もありありと覚えています。
 私は生まれた時から、嬉しい時も悲しい時も寂しい時も父の指笛で励まされ、慰められ、教えられました。わからない事を云ったりやったりすると、目から火のでるように殴られたり,抱きしめて祈ってくれたり色々なことがありました。
 今年の春の指笛音楽65周年記念コンサートが終わり、米国に帰る前の日でしたか・・・一枚のコピーをくれました。私が若い頃出演したテレビの回答者の方が、「格調高い指笛をありがとう」と云われた事を覚えておくと良い、とはじめの方に父の字で短い手紙が書いてありました。父が私に願っていることがはっと胸に迫り、思わず泣いてしまいました。
 あと何年この世に生かされるかはわかりませんが、父の願いを私の願いにかえて生きていきたいと願わされております。長い間異国におりますので、何一つ親にyってあげることのない不出来な娘ですが、幸いにも楽友会の皆様が一つなって父を支えて下さっていますので甘えています。
 父と美都子ママが歩んでいた道を、今は多くの方が賛同して共に歩んでおられることを心から感謝致しております。米寿のリサイタルまで益々元気でいて下さいと心から祈りつつ、静海さんのご苦労とご愛労に感謝しつつペンをおかせていただきます。

 

『私の指笛活動』            藤好 真也(本会会員)

 私が初めて指笛音楽を知ったのは、6年前に『ライフライン』と言うキリスト教テレビ番組に、田村先生が出演されていたのを拝見した事です。その時は私が吹けるようになるとは思っていませんでした。数日後、新聞の片隅に『指笛教室』と言う記事を一緒にテレビを見ていた母親が見付け、電話したところ田村先生でしたので、大泉学園のお宅を訪ねました。その日は田代先生に地下室で吹き方を教わりましたが指笛の『ピ』の音も出ませんでした。その後職場や自宅で自主トレを続け、半年後になんとか曲が吹けるようになりました。
 今年の春、私の会社の食堂に以前保母さんをしていた方が転職して来られました。その方に指笛の話をしたところ、近所の保育園を紹介して下さいました。
 そこで4月7日、千葉県富津市にある和光保育園に行って、約60名の園児の前で指笛を披露することが出来ました。保母さんに伴奏をお願いし、「こいのぼり」「ぞうさん」「めだかの学校」「犬のおまわりさん」等を吹きました。始めは不思議そうに聞いていたり、音が大きすぎて耳をふさいだりする園児も居りましたが、「ドレミの唄」を吹くと皆が手拍子を始めてくれました。
 『ホーホケキョ』と鶯の真似をすると、『オー』という歓声が会場から沸き上がりました。他には「かえるの歌」「大きなのっぽの古時計」「ははぎみにまさる(いつくしみ深き)」を演奏しました。まんが日本昔話のエンディングテーマ「にんげんっていいな」を吹くと、子供達がピョンピョン飛び跳ねて一緒に歌いはじめました。
 最後にこの保育園の園歌を一度聞き、その場で覚えて吹いたところ、『スゴーイ!今聞いてすぐ覚えちゃった』という声が聞こえてきました。演奏後子供達に『口ん中に笛隠してんでしょ』『笛持っているんでしょ』と疑われました。保母さん達にも吹き方を聞かれ、色々と説明いたしました。「近くにこんな方がいらしたなんて知らなかった」と言う保母さんも居りました。
 また、8月14日には軽井沢にある「恵みシャレー」と言うキリスト教の施設で開かれたPBAサマーキャンプにおいて指笛を披露する機会が与えられました。食堂で昼食時に「鹿のように」と言うゴスペルを演奏しましたところ、約100人の拍手と共に「アンコール、アンコール」の声がかかり、ギターの伴奏に合わせてもう一曲「大波のように」と言う賛美歌を吹きました。
 演奏後、多くの方から「素晴らしかったよ」とか「どこで教わったの?」「指笛の集まりみたいのがあるの?」「20年位前に田村先生をTVで見たわ」「演奏会のお知らせなどは何を見れば分かるの?」と、数々の質問を投げかけられ、田村先生や静海先生をPBAのTVを見て知った事、先生のお宅で「25の会」のある事,毎年春に演奏会のある事、等をアピールいたしました。

 以前はブラジルから仕事で来日していた彼女を巻き込み二重奏を演奏しました。また、現在は定年を迎えた父親を巻き込み、親子で指笛を楽しんでいます。