楽友会通信 No.39

                     2009/11/11  指笛楽友会発行

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. 75周年記念 指笛音楽研究発表会が開催されました

去る9月26日(土) 練馬文化センター小ホールにおいて、田村大三とその門下生による指笛音楽75周年記念研究発表会が開催され無事に終了しました。

今回は「人の数だけ音色がある」をキャッチフレーズにして北は青森から塩谷さん、南は沖縄から垣花さんが参加してくださいました。今年は75周年節目の年です。発表会は皆様のお蔭で大盛況のうちに終わり、お客様からは年々発展していますね、と嬉しい言葉をいただきました。

この75周年記念指笛音楽研究発表会の 「プログラムと出演者の一言集」はきれいなカラー印刷によるものですが、この楽友会通信では普通のコピーにして別冊として添付しましたのでご覧ください。
 当日はほぼ満席に近い約500名のお客様が入場され、大部分のお客様は途中退場されることもなく最後まで楽しまれたようです。楽友会の皆様、出演者、関係者の方々のご支援とご協力に感謝いたします。 (有吉記)

. 発表会のプログラムと出演者の一言集(別冊)
 発表会プログラムは第一部・休憩・田村大三ファミリー・第二部へと進みます。
 先ず第一部は栗田・武井組による「上を向いて歩こう」指笛演奏で開演しました。客席から手拍子をいただきながらの始まり、会場内は和やかな雰囲気に包まれました。後続の出演者にも緊張をほぐす好ましい空気が感じられました。

次に田村ファミリーによるピアノ独奏、ヴァイオリン独奏、ソプラノ独唱それにヴァイオリン・唄の共演が感動的でした。

その中でも山本静海先生が、スクリーンに映し出された青山先生の遺影の前で、「愛の讃歌」を無伴奏にてソプラノ独唱された際には、ブラボーの声援と大きな拍手に包まれました。青山先生への感謝の思いが客席の皆様にも伝わりました。青山先生は大三先生ご夫妻にとって大切なピアノ伴奏者でした。

ファミリー部の最後は田村大三先生の指笛「神の子羊」(55周年記念映像)が上映されて、厳かな音色が会場内に響きわたり皆様は静に聴き入りました。

上映後は拍手喝采でした。その後、田村ファミリーへの花束贈呈が行われ、プログラムは第二部へと入ります。

第二部は沖縄から初参加された垣花さんがお客様の手拍子を頂戴しながら明るく演奏を始めました。沖縄エイサー祭りのような陽気さが感じられました。

 指笛音楽発表会第二部の最後には出演者全員が緑のバンダナを首に巻いて「クワイ河マーチ」を指笛演奏しました。 次に田村ファミリーも加わって全員で「故郷」を演奏して発表会を終わりました。

 添付別冊の指笛発表会プログラムの次には 「出演者の一言集」 があります。これをお読みしますと各出演者の選んだ曲への思い、あるいはそれぞれの境遇を乗り越えて指笛音楽を奏でたい気持が伝わってきます。

さらに指笛音楽が奏でられるという喜びや感謝の気持と指笛音楽への熱意も感じられます。

プログラムと出演者の一言集  

PDF版(こちらの方がきれい)        別冊として、添付しましたのでお読み下さい。


. 頂いたお便りのご紹介    (発表会後に田村先生宅へ届いたお手紙です。)

今般の発表会おめでとうございます。

大三先生にはお目にかかれませんでしたが帰りがけにご本を買い拝読いたしました。波乱の人生をのり越えられ感激いたしました。

又静海先生の万感胸に迫るご挨拶に涙いたしました。

先生の若々しいすばらしいソプラノにビックリして最前列に陣取った私は思わず大声でブラボー!とさけんでしまいました無礼をご容赦下さい。

   浅学浅識の私は指笛に初めて拝聴し、その音楽のすばらしさに新たな世界を見させていただきました。

思わず手持ちのバカチョンカメラで写しました。これからもますますのご健勝とご発展を衷心より祈り上げます。終りに私ごときの生花を舞台におあげ下され恐縮至極でございます。 (塚田勝久 様)

.  反省会のこと

10月24日(土)午後に田村先生宅にて指笛音楽75周年の祝賀を兼ねて発表会の反省会が開かれました。
発表会当日の気象はくもりながらも雨は無く、まずまずの天候でした。皆様ご苦労さまでした。心配された新型インフルエンザの流行期でしたが、何の影響もなく済ませることが出来ましたと事務局の松谷さんから報告がありました。

続いて会計担当の藤好さんから発表会の収支報告がありました。田代、斎藤、神田、間所の各氏よりご寄付を頂きました。

斎藤会長からは前回の反省を踏まえた75周年記念らしい立派なものにしたかった。大三先生のご欠席にもかかわらず、今までの積み重ねがあって田村ファミリーと楽友会の連係プレーにより立派に運営できました。お客様からは皆上達していますね、それぞれが自分の力を発揮し、裏方さんも頑張ってよい演奏会でしたね!とお言葉を頂きました。「お客様満足で合格点だったと思います。」とお話がありました。次いで静海先生からは、これからも更に上を目差して音楽性を高める努力をしてくださいとの励ましの言葉を頂きました。

このあと会食等・懇談に入り出席者各人の思いが語られました。

5. 初参加記
  
 初出演で新たな決意    楽友会会員  垣花譲二 (沖縄県浦添市)

平成17年4月に「指笛王国おきなわ」の建国準備の集いを開いたとき、その前年の指笛音楽研究発表会のビデオを大型スクリーンで上映しました。

80人の参加者は初めて体感する指笛の演奏に、驚きと感動を味わいました。指笛の盛んな沖縄ですが、指笛で音楽を演奏することは知らなかったのです。ビデオは、インターネットで知り合い連絡を取っていた吉田重雄さんを通じて入手したものでした。

7月の建国総会では「国王」に就任。翌8月には、吉田さんに案内されて田村大三先生を表敬訪問し、ご夫妻の激励をいただきました。その後指笛楽友会に入会。以来、私にとって、指笛音楽研究発表会に出演することは、大きな目標の一つになっていました。今回75周年記念ということもあり、力量不足を承知の上で思い切って出演を申しこみました。

本番の舞台では、最初に客席の手拍子をもらいながらアカペラで『ハイサイおじさん』をカチャーシーの振りも入れて1番だけ演奏。これで沖縄の指笛の明るさを表現したつもりです。次に石原泉先生のピアノ伴奏で『ばんがむり』(宮古島の子守歌)を演奏しました。ご存知の方はほとんどいないと思われるこの歌は、私の古里宮古島で親しまれているもので、初出演のときにぜひ演奏したいとの強い思いがありました。演奏では息継ぎが適切でない面がありましたが、徐々に改善し、3番はうまくできました。

当日初対面の泉先生は30年ほど前に田村ファミリーの指笛演奏公演で宮古島を訪れたことがあるとのことで「届いた楽譜を見て、懐かしく思い出しました」と話していましたので、嬉しかったです。静海先生とは4年ぶりの再会でしたが、舞台の袖で挨拶したところ覚えておられ「お殿様でいらっしゃいましたね」と優しく声をかけてくださいました。

研究発表会に初めて参加・出演して、楽友会の皆様の指笛音楽に対する真摯な態度と演奏技量の高さ、75年という歴史の重みに深い感銘を受けました。

そして私の初参加を温かく歓迎し、楽屋でも、終了後の懇親会等でも親しく交流していただいた皆様への感謝の念でいっぱいです。ありがとうございました。

この体験を糧に、さらに精進したいと決意を新たにしているところです。

6. シリーズ 「私と指笛」
    指笛と私の軌跡   楽友会会員  安西武雄

今まで諸先輩の投稿を読ませていただいた。指笛のきっかけは「田村大三先生の指笛をお聴きして」が圧倒的に多い。先生が如何にひろく長く指笛の普及と指導に力を注いで来られたことの証し。私の場合は少し泥臭い。昭和34〜5年頃。TVで当時流行っていた公録番組。会社対抗の歌番組をやっていた。その中で記憶ではY新聞の人が指笛を吹いていた。(楽友会の中に居られると思うのだが・・・。)画面はカラーになっていたから、昭和33〜34年頃だと思う。カラーTVが3Cと言われた時代。その音色に魅せられ、私も吹いてみたい・・・。音楽など全く未知、無智。指を咥(くわ)えただけで、ナンデあのような音が出るのか?不思議だった。

そこですぐに行動を起こした。教習書を入手しよう。一年位は入手に夢中だった。目につく楽器店、書籍店考えつく所を懸命に探した。成果はゼロ、疲れ果てた頃にA新聞に「指笛を教える会」のようなコラムを見付けた。次の日曜日早速出かけた。峯村さんという方である。自費で講習会を開いていた。

しかし一日で音が出る訳が無い。毎日曜日に開かれるとの事であったが、とても遠くて通えない。この会への参加はこの一回で終わったが、峯村さんの小冊子をわけていただいた。この小冊子には図解もあり、大いに参考になった。なお田村先生の著書のあることも知り、先生宅が自宅と近い事も教わった。最初に述べたTV画面から既に10有余年は経っていただろう。

それまで練習場所は朝の散歩時、ただ公園内には住居もあり、「ウルサイ!」と怒鳴られた事もあったので、そこで交通量の多い、騒音の多いメイン・ストリートに換えた。

いくらか吹けるようになった時、あるご婦人から「田村先生」のことを聞かされた。後で解ったが斎藤会長の奥様であった。後にご無礼を謝している。また「私は沖縄出身だが、良い音ですネー」と声をかけられた事もある。多少音が出るようになり、慾も出てきた。

初めは「音が出れば・・」程度が「もっとウマクなりたい・・・」に変るのに時間はかからなかった。意を決して先生宅を訪れ、月一回の練習に参加させていただき、諸先輩の指導を受けた。今思えば「25の会」だったと思うが、途中斎藤会長から「レッスンを受けたら・・・」と言われたが「レッスン」の意味が解らない。またそこで、一年位時をロスした後、やっと静海先生のレッスンを受けることになる。

平成12年12月。初級AからはじまったがB、Cと進み、今までのドリルの所為(せい)か自分で言うのは鳥滸(おこ)がましいが順調に経過した。更に中級A、B、Cと進み最後は高等科。A、B、はともかく通過したが、超難関はC、全8曲だが、高音、低音、コーラスと3曲分都合24曲分もある。先生のソプラノに私のアルト(男だから何というのだろう?)は引き込まれる。譜の読めないことを実感する。ただ只管(ひたすら)覚えるしかない、脳に入れるしかない。ただ、努力、努力、努力。それこそ悪戦苦闘、静海先生の励ましだけが心の頼り・・・。何とか全教程を卒業、高等科の合格証を病床の大三先生から手渡しでいただくことができた。感激。迢々(ちょうちょう高いさま)たる目標であったが静海先生の良きご指導を得て完走することができた。万々歳・・・・・。
稚拙な文章。ご勘弁あれ。研磨は続く・・・。  ― 85才 ―


7. J:COM放映を見て
                  楽友会会員  有吉憲行

発表会で配布された「田村大三ドキュメンタリー」テレビ放映のお知らせ!」 は添付別冊の最終頁にありますように、J:COM東京ケーブルテレビで放映されました。私はこの番組を録画DVDにて拝見しました。最初の場面は新宿三井ビル前の55(ゴーゴー)広場からでした。J:COM東京の得居さまが “この広場をチャリティーショーのために使用できるのは指笛音楽の創始者田村大三さんの貢献によるものです。” とナレーションされました。

先ず2008年指笛音楽発表会の演奏情景が映し出されました。それから車椅子で大三先生が登場されます。花束を贈られる場面でした。ここで「指笛」という語が1974年の国語辞典に初めて載った説明がありました。

指笛は天からの授かりもの田村大三演奏75年魂の叫び と題して映像画面は進みます。2003年に収録されたインタビューのテープが残っていて、先生の元気なお声が聴けました。小6の時体操の先生が吹いた指笛がきっかけであること、上京後、入学した印刷学校のブラスバンド部に入ったこと、淀橋教会で洗礼を受けたこと、ブラジル行きが肋膜炎のため中止になったこと、救世軍士官学校への入学、神田神保町の街頭で指笛音楽を発表したこと、横浜野沢屋前での演奏エピソードなど語ってくださいました。これで自分の進む道は決まったとのことです。

このあと1993年4月16日の80歳記念 「神の子羊」演奏画面がありました。1959年(昭和34)年 成瀬監督の「コタンの口笛」東宝映画で大三先生の指笛が採用されたことも紹介されました。田村先生宅でのインタビューに、ファミリーの石原泉さん、松島恵さん、静海夫人が応答されていました。終わりに74周年記念発表会時の恵さんの歌と指笛「私のお気に入り」ピアノ伴奏は石原泉さんの演奏画面がありました。

最後の場面は再び新宿55広場です。楽友会の皆さんによる「クワイ河マーチ」の指笛がリサーチ奏団によるオーケストラと共に奏でられていました。

さらに J:COM得居さまによるインタビューがあって、東京善意銀行友の会の磯野会長のことば “大三先生が当時の社長さんに直接お話して、この会場を無償でお借りできることになった。その意志を継いで続けなければならない。” と、 

また指笛楽友会の斎藤会長のことば “社会教育事業家 後藤静香氏の精神を大三先生は受け継いでおられる。先生の指笛を一生懸命練習して皆が心地よく聴いてくれるようなレベルにまで上げて行かなければならないだろう。” がありました。

私は見終わって、田村大三先生の善意の輪が指笛を通じて大きく広がっている!ことを強く感じました。この番組の制作に尽くされたJ:COM東京の得居さまご苦労さまでした。有難うございました。

. 事務局からのお知らせ

(1) 2009年11月28日(土) 25の会 田村先生宅にて開催です。
       14:00 練習(希望者)、15:00〜16:00 役員会、16:30〜18:00 懇談会
(2) 2010年(平成22年)1月11日(月)成人の日 役員会、総会、新年会を田村先生宅にて開催します。

       13:00 役員会、14:00 総会、15:00〜17:00 新年会

     会費は、3,000円です。準備の都合がありますので、ご出席頂ける方は田村先生宅にご連絡ください。

     斎藤又は松谷でも結構です。

(3) 2010年(平成22年)76周年の指笛音楽研究発表会開催日等決定

    @ 期日 2010年11月20日(土) 9:00〜17:00

    A 会場 練馬区立文化センター 小ホール(つつじホール、592席)

        注:皆様の予定表にご記入ください。 (松谷記)

* 編集後記

この楽友会通信39号は75周年記念発表会の特集号となりました。皆様のご協力により予定通り11月に発行できることを感謝申し上げます。

特に垣花さまには初参加のご感想を頂き、お礼申し上げます。

また安西様には指笛との出会いについて興味あるお話を寄稿して頂きました。指笛が演奏できるまで努力されたことに感心いたしました。

なお発表会の「プログラムと出演者の一言集」は今回も武井様と栗田様のご努力による力作でした。キャッチフレーズも良く、デザインが素晴らしく、アート紙にきれいなカラー印刷による仕上がりでした。感謝いたします。

今回楽友会の皆様、関係者の皆様の一致協力により、75周年記念指笛音楽研究発表会が盛大に無事終了できたことは喜ばしいことです。有難うございました。これからも皆で協力して、より良い指笛楽友会へと明るく発展させましょう。

編集:有吉憲行