指笛楽友会通信   NO38

                            平成21年831

目次

1.田村大三先生との出会い         崎山金太郎

2.そうか君はもう指笛吹かないのか〜   吉田 重雄

3.新宿ゴーゴー広場のチャリティショー   松谷  

4.事務局 だ よ り

 

 


                            

  1.田村大三先生との出会い          

                                               崎山金太郎                                      

                         

指笛音楽を初めて聞いたのは、ある地方の映画館においでになった、戦後間もない1947(昭和22)頃ではなかったかと記憶しています。世の中には随分不思議な音楽があるものだと深く感銘を受けました。その後は指笛音楽を聞く機会もなく何年か過ぎましたが、1954(昭和29)5月に東京へ転勤したので、この機会に指笛を覚えたいと思い、電話帳で「田村大三先生」の電話番号を探しましたが、見当たりませんでした。

* 後日、判ったことはその当時は申込んでも何年も待たないと電話が架設できない時代であり、田村先生のご自宅には電話がありませんでした。

その後は、指笛のことは殆ど忘れていましたが、1973(昭和48)2月に相模原に転勤して間もなく、朝日新聞に「指笛移動教室」が八王子市内で開催されるとの記事が掲載されたのを見て早速申込みました。当日は、定刻10分前になっても誰もいないので、日時を間違えたのかと思っていたところ、やがて受付担当の杉山さん(女性)が見え、その後まもなく田村大三先生が到着して、講習が始まりました。、受講生は4から5名であったと記憶しています。最初に指笛音楽を聞いてから20数年を過ぎ、やっと念願が叶ったのですが、当然のことながら音は全く出ませんでした。

その後、中野の田村先生のご自宅でレッスンを受けることになり、約1ヵ月後にやっと音が出るようになり、最初に吹けるようになったのが、「蝶々」でした。その後も週1回のレッスンを受けていましたが、当時の先輩に宮城富雄さん(現在は故人)がいました。その後まもなくレッスンを受け始めた人には、島村信さん、山本邦男さんがいました。その後も何人かが入門してきましたが、長く続いた人はいませんでした。指笛のおかげで、多くの人々とも知り合うことができ、本当によかったと感謝しています。

指笛についての思い出は、田村先生の紹介で1979(昭和54)53()付の読売新聞の「街の名人」シリーズの第3回に「指笛」として掲載されたことがあります。

そのときの記事によると「レパートリー80 1オクターブ半の音程自在」と紹介されていました。その新聞記事がきっかけで。翌年の「ショッパー」(八王子周辺に配布されている無料の新聞)にも「素朴な音 指笛」として紹介されました。

その外では、テレビに田村先生及びの門下生のその他大勢の一人として出演したことが、思い出に残っています。

初めて指笛を聞いてから20数年、「指笛の移動教室」が開催されていなかったら、2回目以後の指笛を聞くこともなく、自分で指笛を吹けるようになることはなかったので、縁というのは不思議なものだと感じています。

10数年前にレッスンをやめてからは練習もせずに日にちが経過して、思い出したように吹いてみると以前に吹けた曲が吹けなくなり、もともと低かったレベルが極度に低下し、愕然としました。このままでは、せっかく覚えた指笛も吹けなくなるのではないかと心配になりました。

昨年、義弟の依頼で甥の結婚式に指笛を吹くことになり、慌てて練習をして何とか無事に終わり、ほっとしました。

 

 

 

                                              

          

 

 

 

 

2.そうか君はもう指笛吹かないのか〜

                                            吉田 重雄

 

 妻が亡くなってあっという間の1年であった。89日、一周忌の法事を小平霊園で行った。

 一年前の告別式の時にも、楽友会の先輩M氏に指笛で「アメージンググレース」を吹いていただいたが、今回の法要の墓前でもN氏に「アニーローリー」を吹いてもらった。両氏に指笛を吹いてもらったのは、私の指笛の「音楽アドバイザー」でもあった女房に、美しい・華麗な指笛を聴いて心和ませて欲しかったからである。彼女自身もかなり上手に指笛を吹けるようになっていたが、私が今日それなりに吹けるようになったのは、彼女の音楽的アドバイスが有ったればこそ・・・、と感謝している。(これは元気で居た時にも、直接言っていた事ではあるが。)

 家の中で、私が小さい音で指笛の練習をしていると、傍らから即座に「音が狂っている・・・」とか、「・・・のように吹いた方がいいんじゃない・・・」等、頼みもしないのにいろいろ意見を言ってくる。言われたコッチにしてみれば腹も立つので「それじゃアンタ吹いてみてよ〜」と言うこともしばしば。言われた時には腹が立つが、後で冷静になって考えると、残念ながらそれはやっぱり正しい指摘のことが多かった。彼女は、ロックの矢沢永吉の20数年来の大ファンで、2〜3度聞くだけで最初から最後まで通して歌い出す程であった。その耳で聞くと、私の指笛の欠点・弱点が良く見えていたようだ。私が教えたとは言え、彼女がかなり上手な指笛を吹けるようになっていたのも、これまた矢沢の影響かも知れない。

 亡くなってしまった今となっては、彼女の厳しい指摘・コメントはもはや聞くことが出来ないのだが、彼女が天国で心配しないでいいように、これからも彼女から受けた指摘を思い出しながら、1人でじっくりと練習を続けていこうと思う。

 それにしても、もう君の指笛は聞くことが出来ないんだね〜。

 

   

       

 

 

3 新宿ゴーゴー広場のチャリティショー

                                           松 谷  茂

   

 

上を見れば                   舞台の雰囲気

 

 

 75日、指笛楽友会として恒例の新宿ゴーゴー広場のチャリティショーに参加しました。大三先生は第1回から昨年の第33回までは毎回参加されましたがついに今年は欠席となりました。

 今年もリサーチ合奏団との共演で出演者と演奏内容は次のとおりでした。

 まず静海先生が「浜辺の歌」を歌われ、次に中村倫二さんとお二人で「エーデルワイス」を指笛と歌で共演されました。3曲目は中村倫二さんが「アイーダ大行進曲」を指笛で。最後に有吉憲行・潤子夫妻、斎藤秀元、藤好清晴、藤好真也、松谷茂が加わり、クワイ河マーチを共演しました。今年は会場は心なしか少ない聴衆でしたが、舞台の向かい側の高架の通路には通行中の多くの人が立ち止まって聴いてくださり盛んな拍手をいただきました。今年も新宿のビル街を指笛音楽が千の風になって吹き渡っている感じでした。

 今年で34回目を数えるこのチャリティショーにはこれまでも参加された先輩会員も多くおいでになると思います。どうぞ思い出してください(今年は撮ってくれる人がいなく、写真は昨年のものですが、まったく同様の感じです。)

  なお、昨年の第34号で、大三先生とこのチャリティショーの歴史について貴重な史実が載っている東京善意銀行友の会会長の磯野輝夫様に特別寄稿をしていただきました。

  今年の会場では指笛楽友会の紹介に当たり、その磯野会長から大三先生のこれまでのご尽力、特にこのゴーゴー広場で開催できるようになったのは大三先生に負うものだとの史実について紹介が行われました。

  我々門下生も肝に銘じましょう。

 

 

 

 


 4.事務局だより

    1)‘09指笛音楽研究発表会(926日(土))の出演予定者(門下生分)は下 記の方々です。

      有吉潤子 有吉憲行 安西武雄 奥津恭子 垣花譲二 片井久雄 

      片山陽一 河津菊枝 倉木成伊知 栗田勲夫 斎藤秀元 塩谷彰宏 

      杉田隆則 武井洋子 竹中速雄 中村倫二 藤好清晴 藤好真也

      松谷茂 水沼武彦 吉田重雄 (50音順)

 

    2)今後の合同練習予定

      第5回 9月12日()、   

      田村先生宅で、15時〜19時を予定しています。

           なお、役員の方は18時以降に会議を予定しますので、それ以前にレッスンを すませるように時間調整をお願いします。

       

 

 

 

   編集後記 (松谷 茂)

           「爛熟の花火の音はいずこなる」 夏も終わりました。

     予想によると「新型インフル」は9月末から10月にかけて最流行しそうです。

    来ていただくお客様のためにも体調管理に気をつけましょう。

       次号は有吉さんです。情報がありましたらどうぞ・・・。