♪指笛楽友会通信第30号♪
平成19年8月31日
今年の夏は本当に猛暑という言葉を思い知らされました。日本もいよいよ亜熱帯に変わりつつあるようです。冷房なしでは、働く事も、ましてや音楽の練習をすることもできません。しかし非情にも時間は過ぎ行きます。この通信が皆様に届く頃には爽やかな気候ながら発表会も秒読みのことでしょう。
本号を担当する松谷のパソコンが7月の画面ちらちらから8月は考えられないむちゃくちゃ踊りを始める始末、8月31日現在再セットアップか買い直しか迷いながらもパソコンの機嫌のいい時を見計らって作成している始末です。事情ご賢察の上何分のご容赦願います。
(目次)
恐れ多くも田村大三先生の代演をさせていただきました。 村山壮人
新宿ゴーゴー広場のチャリティー音楽祭について 松谷 茂
私と指笛音楽 遠藤 昌毅
人生の師、人間・田村大三先生 中澤 宏則
恐れ多くも田村大三先生の代演を勤めました。 村山壮人
6月8日(金)飯能市新町4−4料理店「暖らん」で田村大三先生の代演を勤めました。
飯能市で建設会社を経営する細田伴次郎さんは、以前も2回程飯能ロータリークラブの「卓話」の時間に先生の演奏を企画実施された方です。今回は新築されたばかりの「暖らん」に多年にわたるごひいきのお客様100人程をお招きした席のアトラクションに、指笛音楽の田村大三先生をご指名くださいました。
先生の体調不良と西武沿線で都合のつく者が他にいないという事情が重なり我が指笛音楽・野火止倶楽部の出番となったのです。中澤宏則さんが、「故郷」を、小林信也さんが「荒城の月」「月の砂漠」「おぼろ月夜」のメドレーを、応援出演の河津菊江さんが「パリの空の下で」「愛の賛歌」を、私、村山壮人は「コンドルは飛んで行く」「妻を恋うる歌」を披露し、最後に四人で「千の風になって」を演奏しました。
6人掛けのコタツの様なテーブルが左右に並んだ廊下を歩きながらの演奏は、足元にお客様の頭と顔があって目の置き所が難しくなんとも妙な気分でした。カメラマンを担当した坂田泰行さんは、元々飯能の人で、細田さんとも旧知の仲で珍しい再会でした。
お酒の入った席でしたが、皆さん一曲ごとに盛大な拍手をくださり、感激のひとときでした。 −−むらやま さかと1−−
新宿ゴーゴー広場のチャリティー演奏会に参加しました。 松谷 茂
7月8日(日)午後3時から恒例の新宿ゴーゴー広場でのチャリティー音楽祭が開かれ、我が指笛楽友会も例年どおり参加しました。この東京都知事が会長を務める東京都善意銀行主催のチャリティー行事は、その第一回目から大三先生が枢要な役を務められ今年で第33回を迎えた伝統ある音楽祭です。今年も東京リサーチ合奏団の演奏の後、同合奏団とつぎのような共演をしました。
先ず、中村倫二さんが一晩中踊り明かそうを共演、静海先生がリサーチの伴奏で浜辺の歌の独唱、その後で中村さん、静海先生がエーデルワイスを合奏(唱)しました。その後、有吉夫妻、斎等さん、藤吉さんご両人、村山さん、松谷が加わり、クワイ河マーチの演奏と続きました。場所がら通りすがりの方も多いようでそれと分る感嘆の拍手が湧き起こりました。大三先生は我々が出演中車いすに座られ舞台下の最前列で懐かしそうにじっと聞いておられました。
当日はこれまでにない清々しい日でしたが、訳もなく疲れたオジサン4,5人は新宿駅近くのコーヒー「らんぷ」で、一息入れて帰りました。
人生の師、人間・田村大三先生 中澤宏則
「なかざわさーん」ある日の昼下がりのこと、茅場町の永代通りに、よく通る声が響き渡ったのです。声の方を振り返ると、通りの向かい側で車の窓開けて手を振っていられます。まさしく田村大三先生なのです。40年ほど前のことだと思いますが、今でもあのときの情景がはっきりと浮かんできます。あの大通りで、よくも見つけてくださったものだと、思い出すたび驚いてしまいます。
昭和45年11月15日、雨。大隈会館の小さな一室で、田村先生の指笛音楽とソプラノの歌声が胸底にしみとおりました。私たちの結婚式を祝ってくださったのでした。
田村先生は、大正・昭和の社会教育家後藤静香(せいこう)の愛弟子。よほどのご縁をいただいたのだと想います。静香の愛弟子の先生方に育てられたのです。
昭和40年代、私たち若者は、各地の合宿研修会に全国から集いました。当時の田村先生は、指笛音楽の演奏会などで24時間では足りない程であったと思います。そんななかでも田村先生は私たちの研修会に駆けつけてくださいました。
田村先生の太く通るユーモアを交えての語り口は、指笛音楽との絶妙なハーモニーとなって融和し、私たちを魅了しました。
秋田での小学6年のある日、新しく赴任してきた体操の先生が、生徒達を集めるために吹いた「ピー」という指笛に大三少年は目を輝かしたのでした。それからというもの、すべてを忘れて、「スースー、ヒューヒュー」と指をくわえて吹いたのでした。
やがて大三青年は東京へ出てゆき、後藤静香に認められることになります。
「田村君、君はそれに生き、それで死んでいくんだよ」という一言は、大三青年の胸をふるわし、生涯を決めることになったのでした。田村先生は、静香氏の「権威」の言葉を伝え続けてこられました。
田村先生が、語りのなかでよく熱唱された静香の主著「権威」のことばは、
これがために
たしかに生まれた
必要なからだ
たしかに生きている
まだ用事があるからだ
「われこれがために生まれたり」
はっきりと
そう言いうるものを
つかんだか今のままで
お前は
たしかに生きている
何をすればいいのか
お前は
たしかに死ぬ
今のままで
死んでもよいのかいつしか田村先生の目にはキラリと光るものがあり、その声はふるえていたようにも感じられました。何とも言えない感動が、いつまでものこる想いでした。
田村先生から静香師へのこころの便りがあります。
「私のヨーロッパ行の話も徐々に進んでおりますが、何月かは未定です。その前に、隣の空き地に10部屋ほどのアパートをつくることにし、2月25日、上棟式を終わりました。
先生のご恩を思いながら『希望荘』と名づけました。」(「新建設」1968年5月、編集兼発行人・後藤静香)田村先生は、世界的な指笛音楽の創始者・演奏家でありますが、わたしにとりましては、人生の師、人間・田村大三先生であります。
昨年の9月30年〜10月2日、「後藤静香生誕地探訪の旅」の途中で、田村先生の直弟子・村山兄から指笛の基本指導をしていただきました。「ピー」となる奇跡が私におこり、今先生を近くに拝することができる幸せをしみじみ想います。
楽友による「荒城の月」の四重奏は、静香ゆかりの霧の竹田城跡に吸い込まれてゆきました。
私と指笛音楽 遠藤昌樹
私が初めて指笛音楽を聴いたのは10年以上前のテレビ番組でした。ただ指くわえて音をだすことはできましたが、メロディまで吹けるとは知らず衝撃的でした。何か楽器が出来るようになりたいと思っていた私は、「これはいい!楽器がなくても音楽ができるなんて!」と思いました。しかし、初めて見る人差し指1本の指笛。見様見真似でやってみても全く音が出ない。1ヵ月くらい試行錯誤しても音が出そうな気配もない。そのうちに諦めてしまいました。
平成15年のある日、パソコンを使っていた時に、ふと思いつきで「指笛」の言葉を入れて検索してみたら、情報がたくさん出てきて驚いてしまいました。しかも、新宿の読売文化センターで指笛教室まで開かれていてさらにびっくり。さっそく申し込みをしました。
教室では静香先生、田代会長、杉田先生に指導して頂きました。「若い人が来た」と驚かれ(当時29歳)、これからの上達を期待されてしまいました。特に杉田先生には情熱的かつパワフルな指導をして頂きました。頑張らないわけにはいかなかったです。
2ヶ月した頃ようやく音が出るようになりました。教室へは都合により3ヶ月しか参加できなかったので、その後は教わった基礎を繰り返し練習しました。一年ほど経った頃、ようやくメロディが吹けるようになり、あまりの嬉しさに家族や友人に下手な演奏を披露してしまいました。そして昨年の指笛発表会で始めて演奏させて頂きました。拙いながらも指笛音楽演奏家の第一歩を踏むことができました。
今年の4月、念願だった沖縄に行きました。沖縄の名物は泡盛、料理などたくさんありますが、私にとっては何といっても指笛です。沖縄民謡やエイサー(踊り)を盛り上げる指笛。日本でこれだけ指笛が盛んな県は他にないでしょう。ウチナーンチュ(沖縄県人)と一緒にぜひ指笛を吹きたいと思っていました。
そこで思い出したのが、吉田さんから聞いていた『指笛王国おきなわ』。ぜひ練習に参加したいと連絡を取りました。当日の参加者は20人くらい。その中に楽友会ベテランに劣らず、上手な方が多くいらっしゃいました。さすがは指笛の県沖縄、指笛人材が豊かです。広い会場(50畳くらい?)で気持ちよく練習させて頂きました。
夜は指笛王国国王の垣花さんと教育大臣をされている浦崎さんとお酒を酌み交わしました。初めての沖縄旅なのに、指笛が縁で楽しくお酒が飲めることに喜びを感じました。その他、居酒屋の三線弾きのおじさんやエイサーの踊り手と一緒に指笛をふいてきました。指笛でより一層楽しめた沖縄旅でした。
ところで、私は田村大三先生の指笛の生演奏を聴いたことがありません。田村先生は私が習い始める以前にお怪我をされ、療養の間に体力が弱ってしまわれたようです。先輩方から田村先生の指笛の素晴らしさを聞いていたので、もっと早く楽友会を知っていればよかったと思っています。
昨年の発表会で田村先生の往年の演奏がビデオで流されました。往年といってもその時80歳を越していましたが、力強くも優雅な指笛に聴き惚れてしまいました。カーネギーホールの舞台に立たれた田村先生への畏敬の念がさらに増しました。田村先生にはなんとか体力を取り戻して、また舞台で指笛を聴かせて頂きたいと願っています。
田村先生のご活躍のおかげで指笛音楽は芸術の域に達しています。そして素晴らしい指笛演奏をされるベテランの方々がたくさんいらっしゃいます。私もいつか追いつきたいと思っていますが、現在楽友会には若い人が少なく、指笛音楽の継承が少し心配です。これからの指笛音楽の普及のために少しでも力を尽くせたらと思います。
後記
今回は、中澤宏則さんと遠藤昌毅さんの比較的新しい会員の方に、指笛音楽や大三先生について寄稿していただきました。10月13日の発表会が間近に迫ってきました。猛暑で8月は練習できなかった人も多いと思います。残された期間を頑張りすぎて体調を崩さないように気をつけましょう。
冒頭にもいい訳させてもらいましたがPC不具合で読みづらい通信となってしまいましたことご寛恕ください。次号は有吉さんの予定です。
松谷 茂