No.26
楽友会通信 2006/5/25 指笛楽友会発行
「指笛王国おきなわ」
-----建国とその活動-----「指笛王国おきなわ」国王 垣花 譲二
昨年、平成17年7月10日に「指笛王国おきなわ」を建国し、活動を始めてから10ヵ月が過ぎました。
初年度150人の会員が登録しました。5月20日には、第2回定期総会を開くことになっています。
私は、少年のころ遊びの中で指笛を身に着けて吹き鳴らしてきましたが、指笛が盛んだと言われて
いる沖縄でも、実際に吹ける人は意外と少ないことに気づき、何とか指笛の普及のための
活動に取り組みたいと考えていました。そのころ、自分で始めて間もないインターネットで「指笛を検索して田村大三先生や指笛楽友会
のことなどを、初めて知りました。そして、楽友会の吉田重雄さんのホームページにたどり
着き、一昨年10月、所要で上京した折に横浜まで出向き、吉田さんから直接指導でメロディーを
演奏する技法の手ほどきを受けることができました。短い時間でしたが、吉田さんからたくさんの
ことを学びました。吉田さんは「沖縄でもぜひ指笛メロディーを広めてください。可能な限り協力します」
と励ましてくださいました。私は「はい、頑張ります」と約束して沖縄に戻ったのでした。年が明けて昨年4月、新聞社を回り「指笛王国設立の集い」を呼びかけたところ大きく報じられ、
約70名もの皆さんが県内各地から参加しました。その集いでは沖縄で初めて指笛楽友会の
演奏会のビデオを上映し、参加者の驚きと関心を呼びました。その場で準備委員を選出して、
「憲法(会則)」の起案など建国準備にかかりました。7月10日、建国総会と総会後の「楽しい指笛の世界」には約200人が駆けつけ、指笛音量コンテスト
やエイサー、カチャーシーなどの歌や踊りと指笛の競演、沖縄の会員のメロディー指笛などの発表で
盛り上がりました。吉田さんも自費で参加され「涙そうそう」などを演奏して花を添えました。
それらの模様は、沖縄県内の新聞、テレビ、ラジオなどほとんどのマスコミが好意的、かつ大々的に
報道しました。NHKのテレビとラジオは全国放送、民放テレビは九州一円の放送もおこないました。建国後、私たちは、夏休み指笛教室を皮切りに、毎月2回の定例講習会の開催を基本に活動を展開し、
今年に入ってからメロディー指導にも力をいれています。各種のイベント、出前講座の要請などにも
積極的にこたえるようにしています。先日は、全国でも始めてと思われる小学校の6年生を対象にした
総合学習の技術で、指笛を指導する機会を得て、王国の教育大臣らが任務を果たし、好評でした。私は初代の国王として、他のすばらしい閣僚達と共に、楽しく活動しています。また、楽友会にも
入会させていただき、昨年は念願だった田村大三先生ともお宅でお会いし、激励の言葉を頂戴する
ことができました。今後も、楽友会の一員としての自覚を持ちつつ、さらに頑張ってまいりたいと思いますので、ご指導、
ご鞭撻をよろしくお願いいたします。なお「指笛王国おきなわ」でホームページも検索できますので、ご覧下さい。
指笛王国おきなわ 垣花国王との出会い
吉田 重雄(本会会員)
私は6〜7年前より、見よう見まねでインターネットに首を突っ込み、最初「仕事兼指笛」の
ホームページ(HP)を作り、又、約2年前からは今はやりのブログ(blog)で、「指笛」だけ
を独立させ簡易HPとして「指笛&草笛をふいてみませんか〜」(http://chiten.tea-nifty.com/)、
というタイトルのブログを立ち上げました。指笛のHP記事を見た人から時折「指笛
を習いたいが、、、」との連絡を貰う様になり、指笛専用のブログを開いてからは、
その傾向が顕著になった様に思います。とは言っても、その数は知れていますが。そんな中、沖縄在住の垣花氏から連絡を貰ったのが、平成16年の7月頃だったと思います。
何度かのメールのやり取りの後、垣花氏が所要で東京に出て来る事が分かり、急遽会う事に
なりました。初対面は12月4日、横浜でした。駅ビルの喫茶店に入ってお話しているうちに
分かったのは、垣花氏が’沖縄指笛’を40年位吹いて来ている指笛のベテランであること、
しかし指笛でメロディーが吹けるなど思ってもいなかった等々。そして、びっくりした事に、吹き方は、人差し指をカギ型に曲げ舌の’上’にのせている・・・。
まさに田村大三流吹き方、が、舌の上げ下げはしていない。そこで、メロディーを吹くには、
舌を上げ下げすること&その理屈等をお話しました。喫茶店で3〜40分くらい話した後、
駅ビル《JOINUS・高島屋)屋上の緑豊かな庭園広場に上がり、そこで垣花氏に、「ふるさと」を
”ハミングしながら”指笛を吹いてみて、、、。うさぎおいしかの山こぶなつりしかの川・・・。
言った私もビックリ!「ふるさと」の一番が終わる迄に「立派な」指笛メロディーになっていました。
メロディーを「ハミングする」と言う事は、舌を含めた口の(内外の)形が、まさに音の高低を出せる
構造になっている為、いやでも「指笛」がメロディー的になる、、、と説明。「ふるさと」を3番位まで
吹き終わった後、指笛レッスン初等科のレパートリーから数曲吹いて貰いました。曲を重ねる度に、
立派な「メロディー指笛」になって行ったのです、後は垣花氏の好きな歌数曲を指笛で所望。これで大丈夫、と私は確信。垣花氏の話によれば、沖縄で指笛を吹く人の半分位は、垣花氏と
同じく「カギ型に曲げた人差し指を舌の上に乗せている」との事なので、その人達には、「今日
お教えしたとおりの指導法で教えて行けば、かなりの人がメロディー指笛を吹ける様になると
思います、、、」と説明。垣花氏は「絶対メロディー指笛を沖縄で普及させたい、、、」と張り切って
沖縄に帰って行きました。会ってから別れるまで、2時間〜2時間半。沖縄に帰った後の垣花氏の行動力は凄かった!
マスコミを上手に巻き込みながら、翌平成17年4月には10数人の同調者を集めて準備会を開催。
その後数回の準備会を重ね、7月10日には、指笛&メロディー指笛の普及等を目的とする
「指笛王国おきなわ」を設立してしまいました。垣花氏は、初代国王に就任。同日の設立記念行事
には、沖縄の津々浦々から200人を超える人が集まり、王国に入会した人(国民)も100人を
超えた様でした。私も記念行事に参加しましたが、200人を超える人々が一斉に「指笛」を練習する
姿は実に壮観なものでした。今年7月には設立1周年を迎えますが、この間の王国の指笛普及活動には
目を見張るばかりです。各種マスコミ報道も山ほど。その国王も、今では指笛楽友会員。私は縁有って王国の横浜親善大使に任命されました。今や国民の数150人にまで増えた指笛王国
の発展の為に、今後とも微力ながら協力して行きたいと思っています。
勝った!マグロに勝った!!
ーー月の砂漠御宿町に指笛音楽デビューーー武井 洋子(本会会員)
海の町「御宿」に来て一年半やっとこの町で指笛演奏の出来るチャンスが到来。
毎年3月に”お魚ウィークス&月の砂漠童謡大会”が海岸近くにある月の砂漠
記念館前広場で行われる。第一部は団体のコーラス、二部は一般参加ができる
プログラムである。その日は朝まで降っていた冷たい雨もあがり、月の砂漠記念館前広場には
大勢の人々が来ていた。広場には地元の野菜や魚の店や模擬店が出て、
その横には大人の背丈程のカジキマグロが太い丸太で組まれた櫓にドーンと
ぶらさがっている、そんな浜の会場なのだ。第一部の児童合唱団や混声コーラス、女声コーラスの童謡メドレーが終了すると、
司会者が「ただ今からマグロの吊るし切りショーとするもん汁の配布を行います。
カジキマグロのさしみは600食の予定です。皆さんお並びください。」との
アナウンスでステージ前の座席は身内だけになってしまった。司会者が私に「二部に入っていいですか?」と言ってきた。プログラムの二部は
11時半からになっているのに、時計はまだ11時!かなりアバウトな進行だ。
竹中さんも11時半からのつもりで会場にはいない。私は10分後にしてもらう
ことにして竹中さんを待つ。11時15分ステージ前はまだ観客はまばらだが、
二部の始まりのアナウンスが流れた。音響係に合図して竹中さんと二人赤い敷物が
敷かれたステージにあがる。広場を見下ろすステージは海からの向かい風が吹きつけ、指笛の響きが聴衆に
とどくのかと少々心配、まず一曲目強力な助っ人竹中さんが「花の街」を演奏。
マグロの前に並んでいる人々が皆ステージを見上げる、響きは上々!私は「朧月夜」と
「ふるさと」を二曲続けて吹く。そのあと竹中さんがパンフルートという楽器で一曲披露、
続けて指笛を演奏。いつの間にか広場のイスはうまり最初の賑わいになった。勝った!マグロに勝った!!
最後に二人で吹いた「上を向いて歩こう」は皆、手拍子で楽しんでくれた。
この町に指笛音楽のデビューは大成功。これも市原から駆けつけてご協力下さった
竹中さんのお陰と感謝しつつ、来年は大勢の楽友会メンバーで演奏できたらいいなーと思う。
海と白い砂浜を見下ろす野外ステージはおもいっきり指笛が吹けて気持ちがいい・・・。日本経済新聞 2006年4月17日(月) 文化欄
奄美の指笛 自由自在
◇「ハト」講座開設、女性中心に連日大入り満員◇ 定 藤仁会員の竹中速雄氏から上記新聞記事の連絡がありました。今沖縄では指笛の普及活動とメロディー指笛の普及に取り組んでいる時でもあり、たいへん参考になる記事だと思い、紹介させて頂きました。
指笛楽友会事務局