楽友会通信                           2007.6.15 指笛楽友会発行

 

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木々の緑がまぶしい季節になりました。会員の皆さま何処で指笛を吹いていますか。緑の野原、花々咲き乱れる公園、介護施設でのボランティア、いやいや地域の公民館や文化センターとそれぞれにご活躍のことでしょう。平成19年、第2号の指笛楽友会通信です。

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   田村先生と静海のご近況―

 

94歳になられた大三先生の体調はすこぶる快調です(先生のご体調は19年通信1号の通りです)とにかく大三先生は一にも二にも静海、静海です、介護する静海先生は心身ともにお元気でなければなりません。毎朝、静海先生は「声楽の体操」とヨガを行い、大三先生はもとよりご自身の健康にも気遣いながら、大三先生にとって最も良い環境で介護ができるよう心掛けており無理のない日々をお過ごしです。

 

    ―指笛と思い出―

                           和田 秀夫(本会会員)

                                           

昭和25年頃だったと思う、新聞に上田仁氏指揮日本フィルハーモニーオーケストラと田村先生が共演された記事が出て指笛の吹き方が10行程で書いてありました。指をくわえて4ヶ月程でピーが出ました。

高校の時、電車の中から[指笛の家]と大きな看板を見ました。後日、田村先生のお宅へお伺いしました、長女の洋美さんがセーラー服を着ていました。奥様は元歌劇団のソプラノ歌手で黒羽美都子先生、ピアノで稽古をつけてもらいましたが、ぜんぜんだめでした。その後のレッスンは・・・・・・。

田村先生とはカバン持ちで六本木の米軍キャンプ(現在の防衛省)に慰問したり、品川に有りましたニコヨン宿舎の住人への慰問演奏、上智大学講堂では学生を前にして「カッコーワルツ」を演奏、感動の大拍手、私も感激しました。日比谷の野外音楽堂等、その他いろいろと連れて行ってもらいました。

クラッシック音楽評論家の堀内敬三氏が指笛を絶賛されました。その頃から、辞書に指笛の文字が掲載されるようになりました。

次女の泉さんが生まれた時先生からハガキを頂きました。名前は聖書の中からつけましたと書いてありました、嬉しかったです。

先生はアメリカ公演にも行かれました。その当時から音楽家の憧れカーネギホールに出演し大成功を収めました。

リサイタルは毎年のように日本青年館で公演していました、日比谷公会堂でも一回公演したのを覚えています。

私事で恐縮ですが、私の娘洋美の結婚式に指笛演奏をお願いしましたところ、二つ返事、車で横浜グランドマークタワー迄静海先生とご同伴でお越し頂き大変恐縮致しました。あの時の感激は今でも忘れませんありがとうございました。

田村先生の生き甲斐は奉仕と、指一本で指笛音楽(辞書によれば音楽とは音と声で表現する芸術)にする事ではないでしょうか。60余年前の日本フィルとの共演で実証され、カーネギホールで完成されたのではないかと私は思います。

今、思えば私はその先生に心酔し現在に至ったと思います、その事とは裏腹に長い間、音楽ダメ男は先生宅での新年会と年に数回の発表会に顔を出すくらいでした。もし、指をくわい続け努力しておれば、あの感動した「カッコーワルツ」を皆さまにお聞かせ出来たものを「あぁ・・・・。」

田村先生のお具合はいかがですか、奥様がご主人の身体の事を考え、栄養素など色々と工夫され食べやすいよう料理をなさっている由、毎日ご主人のからだを拭いたり、その他色々と献身的に尽くされているとの事、胸が熱くなります。

静海先生、いつまでも若くないですよ、心身ともにお疲れもたまっているのでは・・。

大変でしょうが御身お大切にご自愛ください、田村先生共々頑張って下さい。

(記憶だけで書いたので話が前後したり、勘違いがあるかもしれませんご了承ください、和田)

 

  

 ―北海道≪帯広≫からー    

 

                           川上 勝二(本会会員)

 

皆さん こんにちは。毎回、送られてくる指笛楽友会を楽しく読ませていただいています。私は仕事の関係で平成12年9月に関東から宮崎に転勤となり17年7月に北海道帯広に島流しとなりました。仕事は独立行政法人航空大学校で操縦教官をしています。若い学生相手ですので私も彼らからのパワーを頂き気持ちだけは若いつもりです。教え子がJALでジャンボの副操縦士としてアメリカ、ヨーロッパ路線を飛んでいます。時々、太平洋上空から、「教官、今、ニューヨクから成田へ向かっています。」と航空無線で声を掛けてくれます。ここ帯広では全くの素人に操縦を教えます。25時間で単独飛行審査に合格しなければ退学です。東大、北大、東北大、京大、阪大、九大、早稲田、慶応大等からの学生が多いです。彼らの夢はジャンボに乗りたいようです。団塊の世代の大量退職に入りました。就職率は90%以上でJAL,ANAに就職しています。初めての学生に操縦を一から教育するのは大変疲れます。何も知らない学生を手取り、足取りで離陸、着陸を教えなければならず緊張の連続です。危険と常に隣合わせです。教育した学生が自分一人で単独飛行をしてきた時には教官冥利につきます。来週、6月初めには担当している3名を単独飛行審査に出します。無事、合格することを願いつつ。私の学校についてはYAHOOで「航空大学校」で検索していただきますとすぐ見られます。次にここ帯広についてです。広大な十勝平野があります。空からみますと真四角に区画された畑が大変綺麗です。これはアメリカの土地区画を真似たようで一辺が540mあります。約30町歩。一軒の農家は約50町歩前後は持っています。これほどの土地を耕すのに手作業はできません。全て機械です。各農家には10台近い色々な農機具があり近代化されています。明治の始め、まだ、アイヌ民族しかいない時代にいろいろな開拓者が北海道にやって来ました。十勝平野は静海先生のご先祖である依田勉三氏が明治16年に静岡から来られ未開の原野の開拓から始めたそうです。現在のような機械が全く無い時代に大変な苦労があったようです。30町歩を開墾するのに10年かかったようです。通勤途上の畑にはジャガイモ、甜菜等の植え付けがやっと終わったようです。「メークイーン」は十勝を代表するジャガイモであります。その他、本州では見られない作物も沢山あります。最近、やっと北海道をゆっくり考える余裕が出来ました。山に行けば山菜の宝庫、「行者ニンニク、タラの芽、ウド、蕗、ゼンマイ、ワラビ等」いっぱいあります。帰宅途中にちょっと林に入って収穫。BEERのつまみとなります。帯広市内には十勝開拓の祖として依田勉三氏の大きな銅像があります。帯広名物に豚丼がありますが由来は依田勉三氏が開拓時代に豚と寝食を共にし「開拓の はじめは豚と ひとつ鍋」であったと晩年に書かれています。これが豚丼のネーミングになったようです。平成14年には開基120年を記念して映画「新しい風・若き日の依田勉三」が映画化されました。暫く出張もなく(経費削減のため)東京に行く機会がありませんが25の会での食事は私の楽しみの一つでした。ジャガイモの収穫時期が来ましたらお送りします。指笛の方はあまり進歩せず。童謡が吹ける程度です。大声を出しても誰も文句を言わないくらい練習場所があるのに進歩がないのは残念です。団塊の世代の大量退職が始まり昭和23年生まれの私は来年3月31日で定年となります。定年後は静岡に帰り浜松から25の会に行かさせていただきたいと考えています。まだ、色々、書きたいことがありますが今回はこれまでとさせていただきます。大三先生いつまでも長生きしてください。 FROM OBIHIRO WITH LOVE。    

    

 

 

 ―全国レクリエーション協会会長・事務局長さんご来訪―

何かいいこと あ る か し ら・・・・・

  

5月12日に全国リクレーション協会川村皓章会長と浅野祥三事務局長が田村大三先生宅にお見えになりました。

このことは、青森の塩谷彰宏さん(楽友会会員)が、昨年九月に青森県で開催され第60回全国レクリエーション大会において、指笛音楽を紹介した(塩谷さんは青森県レクリエーション協会会長をなさってます)ことに端を発しています。この時、指笛が川村会長さんはじめ多くの方々の注目を浴びたそうです。このことがあってこの度会長から「音(音楽)・感動・健康・交流(コミュニケーション)をテーマに、指笛活動を通してどんなことが出来るか、考えを聞かせて欲しいとの連絡をいただきました。塩谷さんの指笛にどんなにかインパクトを感じられたことでしょう。

塩谷さんから静海先生および事務局に連絡が入りましたので、4月28日の役員会でその主旨を確認するとともに、各自が自分の指笛活動をまとめておくこと及びテーマに沿ってどんな活動ができるのかを考えて、当日の話し合いに臨むことにしました。時間もなかったので楽友会としての集約した方針は用意できませんでしたが、それぞれの方が自分の思いを語ってくださいました。

話し合いは、川村会長のご挨拶に続いて、ご自身が本業のかたわらレクリエーションの道(セカンドジョブ)にも進むことになった経緯やレクリエーションの意義(レクリエーションとは車にたとえればハンドルのあそびのようなものとおっしゃっていました)、協会の活動のこと等を話されてから、上述の4つのテーマについて触れられました。

その後、塩谷さんの司会進行によって出席者全員が発言を求められました。当日、出席した会員は先生ご夫妻を含めて13人でした。以下に発言内容のまとめを記載します。

会員の全員が指笛の普及活動をしています。演奏先としては保育園や幼稚園、小学校、高齢者や障害者施設、教会、地域のイベントなどが多く、聴いて頂くというスタイルが中心です。指笛音楽を日本の文化・芸術とし育て、伝承していく為には若い世代に継続的働きかけていくことが望まれます。指笛サークル等を作って同行者を育てている会員もいます(この場合は聴いて楽しむ感動から進んで、自分で演ずる感動や後進が育つことの喜びが得られます)

指笛はその音を自ら生み出します。これには難しさが伴いますが音が出たときの感動はひとしおです。そしてそれを音響に載せていく過程で何度も新たな感動を体験します。良い演奏に聴く人も演ずる人も感動と共感に包まれます。指笛は深い呼吸(腹式呼吸)を自然に行い健康に役立つと感じている人が多いです。ストレス発散にもなります。胃を全摘出し、しかも総入れ歯の人が医師から腹式呼吸を薦められ、指笛を始めたら元気になって、指笛も演奏できるようになったという話もありました。指笛を演じたり指導したりすることで世間や人生が広がっていく人がいます。そこにはコミュニケーション・交流がついてまわります。このように指笛は4つのテーマと密接につながっていると思われます。

レクリエーション協会に期待するお願いが皆さんから沢山出ました。その中で共通していることは、日本レクリエーション協会のイベントの中に、指笛演奏会や指笛指導教室を企画していただき、指笛楽友会が協力するかたちがとれないでしょうかということです。指笛音楽はまだまだめずらしいものというマイナーな存在です。日本で生まれた指笛音楽を日本文化として芸術的に高めながら普及・伝承していく為には、広い組織の中で全国の愛好者達が力を合わせて研鑚・努力していくことが必要です。これによりやがては世界に向けて発進して行きたいものです。       報告者  斎藤 秀元

    ―浦安市当代島ふれあいサロンー

竹中 速雄(本会会員)

 

友人が浦安市の民生委員に選ばれ、ボランティアで市内当代島地域の高齢者支援活動を行っている。私が指笛やパンフルートを演奏することを知って、その友人から、当代島公民館で開催する高齢者向け「ふれあいサロン」に出演してもらえないかとの依頼が届いた。

9月24日(日)11時に伺うと、お天気も良いせいか、気の早いお年よりはほとんど集まっており、さっそくボランティアのご婦人方による軽い体操や歌のあと、折り紙教室が始まった。皆さん元気で賑やかだ。

この日は、主に1人暮らしのお年よりを40人ほどお招きしたそうで、70歳代80歳代の方々がほとんど、最高齢者は95歳、車での送迎、しょくじの準備やお茶のサービスなど会そのものの運営はすべてボランティアで成り立っているそうだ。

1人暮らしなので、おしゃべりをしてもらうこと、体を動かしてもらうこと、大きな声を出してもらうこと、そして何より楽しんでもらうことを第一としているそうだ。

指笛の演奏が始まると、まばたきもしない熱心な眼差しが集中し、圧倒される。咳一つない会場に指笛が響く、演奏が終わるのを待ちかねて拍手が来る、あわててお辞儀を返す。

質問が遠慮なく飛び交う、どうやったら音が出るか、両手の指をくわえる人もいるが、もっとまろやかに出来ないか、どれくらいで音が出るのか、等々。 創始者田村先生のことを紹介して吹き方をやってみせる。

友人からは古い曲でいいからと言われていたが、意外なことに新しい曲にもリズムを取るなど反応している。

指笛のあとオカリナとパンフルートを紹介し、ハーモニカを伴奏にして全員で合唱した。元気な歌声が教室に響いた。あっという間に1時間が過ぎた。

帰り際、お一人ずつ丁寧なお礼の言葉をいただいた。「今日の印象を詠んでみました」と短歌を見せてくれた方もいた。

 「私達の力はたいしたことないんですよ、みんなで力をあわせてやっているんですよ、うれしそうな笑顔を見ると私達もうれしいんです。みんなこの地域で育ってきた人たちだし、私達がやらないとね」

「小学生になった気持ちで勉強しています、と言う方もいましたよ、あのお年になってすごいと思いますよね、教えられますね」ボランティアの方々は淡々と話す。

この日は、ボランティアの方々から、心温まるものを受け取った。

2006925日記          

 

事務局から

 

 指笛音楽研究発表会開催について

       日時:20071013日(土)1時〜5時

       場所:練馬区大泉学園ゆめりあホール(西武池袋線:大泉学園駅)

      

   募集                 よろしく

      

  楽友会通信に掲載する原稿をお寄せください。指笛に関する情報、皆さんの活動のご様子、指笛をやっていて良かったこと、エピソード、田村先生との思い出等々。

2001200字ぐらいでまとめてお送りください。

 

 

 編集後記

この度編集を始めて「わっ!大変」と、最初から思う。長年お一人で編集発行をしてくださった斎藤秀元さんに敬意と感謝の気持ちがどっとわく。時間はあるが自己流パソコンの素人編集者にはなかなかの苦労でした。発行予定より遅れたことお詫びいたします、次回は松谷さんです。

 最後になりましたが寄稿者の皆さま快くご協力くださり有難うございました。

                            第2号編集 武井 洋子