楽友会通信   No.11       2001/6/30

指笛楽友会発行

感動を呼んだ 米寿記念 田村大三指笛音楽感謝コンサート

 4月21日(土)日本青年館大ホールにおいて、田村大三先生の指笛音楽集大成としての記念コンサートが、ファミリー、楽友会、美鈴会、そして先生が長年顧問をなさってきた東京リサーチ合奏団と共に盛大に開催されました。
 当日は雨模様の天候でしたが、1000人を越える田村ファン、指笛ファンが続々と会場を埋めました。先生を慕うオールドファンは同じように年齢が高く、出席できないことを残念がる電話や手紙が沢山あっただけに、大盛況の喜びは一段と高まりました。
 聴衆は先生の演奏に息を飲み、一曲終わる毎に「御苦労様、お疲れ様、素敵な世界を築いてくれて有難う」と言わんばかりの称賛と労いと感謝の拍手を送っていました。
 先生の指笛は40代の頃が最高だったとご自身がおっしゃたことがありますが、米寿の歳になられてもやはり先生の音色は誰よりも素敵だ、年齢を重ねてほどよく枯れた渋みのある音色とポーズ(所作)が何とも言えない魅力だとの感想も頂きました。
 私自身、先生の「フニクリフニクラ」を拝聴していて、ああ、88歳の先生がめげずに、ゆっくりゆっくり、ご自分の歩調でアルプスを登っていらっしゃる。この光景は、人跡未踏の道を拓き歩んで来た男のロマンを映している絵のようだ、と胸のつまるのを感じたものでした。
 今回のコンサートを開催するにあったて、静海先生(田村夫人)のお働きとご苦労は大変なものでした。企画から事後処理まで私たち門下生では頭が回らずお手伝いできない部分が沢山ありました。静海先生はご自身の練習時間を十分に確保できなかったのではないかと門下生が心配したほどでした。
 しかし当日の「松島音頭」や「ある晴れた日に」を拝聴していると、古希を迎えられても張りのある歌声は変わらず、米寿と古希とご結婚10周年の巡り合わせを歓喜していらっしゃるようでした。
 3人のお嬢様方(洋美先生、泉先生、恵先生)も熱演でした。それぞれの立場で米寿コンサートを成功させたいとの思いから、企画の段階より遠方からいろいろとアイデアや注文を寄せられたとのこと。それらを一つにまとめての演出でしたが、田村先生ご夫妻、三姉妹とお孫さん達ファミリーが舞台上で織りなすシーンは会場の方々の深い感動を呼び起こし思い出に残るコンサートとなりました。  (斎藤記)

 

 

シリーズ『私と指笛』
指笛との出会いが私を変えた!

吉田重雄(本会会員)

 私が指笛の事を知ったのは、仕事で出張していた札幌での事でした。平成4年の5月の初め、たまたま日曜日の朝早く(多分5時半〜6時頃)NHKのラジオを聞いていたら、“指笛を吹き始めて来年で満60年になるので、人差し指に赤いちゃんちゃんこを着せる・・・”、という元気な声でメロディーも初めて聞いたと思います。東京に帰ったら一度是非お尋ねしてみようと思いましたが、“どこの誰なのか”聞き始めたところから最後まで、その放送では知ることが出来ませんでした。

 東京に帰ってから、早速NHKに電話して聞いたところ親切に、名前が田村大三さんと言うこと、住所が練馬区大泉学園であること、又、電話番号を教えて貰うことが出来ました。それから確か1〜2週間のうちに、仕事で外出した際にかなり足を延ばして、大泉学園の該当住所付近を1時間程探して歩きましたが、暗くなってきても結局尋ね当てる事が出来ず、途中で思い切って電話をしてみました。ちょうどお留守の様で「指笛のおじさんこと田村大三ですが、いま外出していますので用件を録音してください・・・」というメッセージが流れて来ました。当方の名前、電話番号、電話した趣旨を吹き込んで帰途につきました。

 その後何日かして奥様から電話を頂戴し、「5月25日に集まりが有るのでそこに見えたらいかがですか」という話になりました。当日伺って初めて、私が尋ねた人が指笛音楽創始者・田村大三先生であること、奥様が声楽家の山本静海先生であることを知り、恐れ多く感じた思い出があります。

 それから早や丸9年が経過してしまいました。ここ3年程は、私が病気したこともあり、レッスンを受けるチャンスも無いまま過ぎてしまいましたが、それまでは月2回、ほぼ同期の斎藤秀元さん、中村倫ニさんと言う良い仲間にも恵まれて、自分なりにかなり指笛の練習に打ち込んだつもりです。練習の帰りには、大泉学園の駅近くの“九州”と言うラーメン屋で反省会と称して、餃子とチャンポンを食べながらビールを飲んで帰るのが毎回の楽しみでした。

 田村大三先生とこういう形で“出会い”が出来た事、又仲間に恵まれた事が私なりに指笛に打ち込む事が出来たものと思います。それまでは、仕事がらみの付き合いで下手なマージャン、ゴルフ等をやる事はあっても、特に個人的に打ち込める趣味も無く、女房からは「このままでは濡れ落ち葉になってしまう・・・」と心配されていた私が、今では指笛を筆頭に、草笛、ビン笛、急須笛、竹輪笛、ポリ笛・・・が趣味、と言えるようになり(後の四つは殆ど遊びの類ですが)、これから先は「濡れ落葉になる」心配もなくなり、大いに人生の励みになるものを頂いたと、田村先生、静海先生に心より感謝している次第です。
 これからは、自分でも指笛の練習に励みながら、少しでも多くの人々に是非“指笛”の事を知って貰い、喜びを分かち合う事が出来る様に、私なりに微力ながら努力して行きたいと考えている次第です。


シリーズ〈私と指笛〉
インターネット指導で感動

峯村純夫(本会会員)

私は、現在、指笛の普及活動と演奏活動に力を入れています。なぜなら、指笛を吹きたい人、聴きたい人が沢山いるからです。

 以前から海外には、2本指の指笛はありましたが、人差し指1本の指笛は田村大三先生のものであり、音色がことの外、美しく感じられます。

 全音域でのトレモロ、「ルルル」のトリルなどの他に、更にいろいろな可能性を持つ指笛は実に奥が深いと思われます。そんなことから、未だに吹き方についての発見や面白味があります。

 1972年、テレビで指笛の演奏を見て驚かされました。それが田村先生の指笛だったのです。それからというもの、毎晩、畑の真ん中で試行錯誤の練習をし、2週間目にやっと音が出たとき、なんと喧嘩で助けを呼んだのだと勘違いされてパトカーまで来てしまったのです。

 1974年、大船のモノレールの下を指笛を吹きながら歩いていると指笛コンサートのあることを教えてくれる人がいました。「40周年記念田村大三・黒羽美都子夫妻ジョイントリサイタル」だったのです。そのとき、初めて田村先生の指笛を聴かせて頂きました。

 1995年、口の模型や図解資料を使った指笛の普及活動が朝日新聞に紹介され、そのとき故宮城富雄さんが電話をしてきてくださいました。それがキッカケとなり、田村先生宅で先生にいろいろと教えて頂きました。その年の暮れには、千葉の岬教会に家族そろってクリスマス指笛コンサートを聴きに行きました。

 1996年、千葉市文化センターで、田村大三先生、静海先生、泉さんを招いて行った「クリスマス指笛コンサート」は、500人の大ホールが満員となり大盛況でした。今でも心の中の大切な宝物です。それ以外に、チラシ配りチケットやプログラム作りなど、そのときには色々な勉強をさせて頂きました。米寿記念田村大三指笛音楽感謝コンサートは、そういう意味で、静海先生ほか、皆さんのご苦労が身にしみて分かります。

 公民館での指笛教室、毎日新聞カルチャシティ指笛講座をもう何年も続けていますが、最近では、皆で千葉県のフェスティバルに出場したり、市民音楽祭の出場など楽しくやっています。更に、年間20数回の指笛コンサートなどで沢山の人達との出会える喜びがあります。

 指笛の吹き方をインターネットを通して吹けるようになった米国の音楽の先生が、子供達に指笛を教えています。指笛ミニコンサートのビデオを私に送ってきてくれたときは感動でした。今年は、長野の母校の小学校で指笛コンサートと指笛指導を行い、一つ夢が叶ったように思います。

 指笛は、健康にも良いと信じます。自慢話になりますが、昨年の体力測定で体力年齢が25歳でした。 (実年齢は・・・?) 田村先生のように、未だに現役で演奏されるのを見るにつけ、指笛にめぐりあえたことを大変感謝しております。更に、先生を見習って健康に気をつけ、日々精進したいと考えます。

 峯村氏のホームページ
http://homepage1.nifty.com/Minemura/

 

 

 

2002年度指笛音楽研究発表会

2002年6月30日(日)

中野ZERO 小ホール

 

 

 

ゴメラ島指笛交流計画中止

昨年から計画していたスペイン・ゴメラ島の指笛との国際交流は、残念ながら実現できなくなりました。在日スペイン大使館は好意的に現地州政府の関係部署に連絡をしてくれたのですが、現地からの回答が得られませんでした。宿舎や飛行機の予約をいつまでも引き伸ばすことは出来ず、5月九日付け文書と電話でスペイン大使館に中止を連絡しました。

TV局のディレクターの話によると、現地指笛のリーダーの所には電話やFAXがないとのことで連絡の難しさもあるのかもしれません。

今後再計画する場合には、現地の日本大使館や領事館ともコンタクトをとった方がよいと言うことがわかりました。それと合わせて関係部署への指笛音楽のアピールが大切だと反省しています。

コラム

田村先生愛車との別れ

長いこと車を友としてこられた田村先生がいよいよ愛車とお別れしました。昨年、運転免許の更新ができて90歳まで運転できることになりました。

”まだ若い”と喜んだのは大三先生、ますます心配になったのは静海先生でした。ある日先生のお宅を尋ねると、大三先生が車の中でじっと考え事をしているようでした。お声をかけると「運転をやめようかと思っているんだよ」

とぽつりとおっしゃいました。静海先生や周囲に心配をかけられないというお気持ちがだんだん高まってきているご様子でした。

米寿コンサートという大きな仕事が無事終了し、そこで静海先生の誕生日(6月2日)を記念して運転をお止めになりました。今ではガレージの中に、車に代わって静海先生が買物用に購入なさった三輪自転車が鎮座しています。

 

事務局より

新入会員ご紹介 飯塚隆氏 飯塚さんは先生の旧いお弟子さんです。いつか昔のことなどお話いただきたいものです。

会費未納の方は払込用紙を同封いたしましたので宜しくお願いいたします。

酷暑到来、健康にご留意なさってお過ごしください。

 

指笛楽友会事務局

東京都練馬区大泉学園町2-31-7  田村大三方