指笛楽友会通信 NO42
平成22年8月31日
指笛楽友会
目次 (ページ)
1.「田村先生の追悼コンサート」成功裡に終わる 塩谷彰宏 (1)
2.人さし指のホロビッツ 中澤宏則 (3)
3.新宿ゴーゴー広場のチャリテイ―ショーに参加 松谷 茂 (4)
4.今後の日程などのお知らせ 事務局だより(5)
1.「田村先生の追悼コンサート」成功裡に終わる
塩谷彰宏
去る5月3日、青森市民ホール会議室で「指笛演奏世界第一人者、田村大三先生追悼指笛コンサート」を開催しました。
このコンサートは去年から計画しておりましたが、コンサート直前の4月24日に田村先生が亡くなられましたので、急遽「追悼コンサート」と銘打って実施したものです。
私はこれまで、毎月4回のペースで青森県観光物産館(アスパム)で観光客の皆様方を対象に30分間のミニコンサートを続けて来て、来週で100回を迎えますが、市民ホールでお客様から入場料(1,000円)をいただいて実施したのは初めてでした。
「君をのせて」「黒い瞳」「ダニーボーイー」「コンドルは飛んでいく」「アメージング・グレイス」「テキサスの黄色いバラ」などを演奏し、最後に田村先生へのお別れの思いを込めて、ショパンの「別れの曲」を演奏しました。
音響の方にも頑張っていただきましたので、「感動しました」「迫力がありましたよ」「音に張りがあって素晴らしい。ぜひ習いたい」「またこういう機会があったら来たいと思います」などの感想をいただき、本当にやってよかったなと思っています。
私は、指笛を吹き始めて52年になりますが、28歳の時、小学校でトランペット鼓隊を指導しており、その指導法を学習するために、武蔵野音楽大学の「トランペット夏期講座」に参加しました。
その時、トランペットの指導教官に自分流(人差し指と薬指で吹く方法)の指笛を聴いてもらったところ、「中野に指笛のプロがいますよ。門をたたけばいいのではありませんか」と教えてもらったことがきっかけで田村先生と出会いました。
田村先生と出会ったとき、『NHKテレビの「私の秘密」で「カッコウワルツ」を演奏した人だ』と思いました。小さい頃、テレビから流れてくる不思議な音に感動し、テレビにくぎ付けになって「どうやって吹いているんだろう」と思ったことを今でも覚えています。田村先生はその場で人差し指を鈎型に曲げた吹き方を教えてくださいました。
その後、上京する度に田村先生の自宅を訪ね指導していただきました。
そして、東京で開催される「指笛音楽研究発表会」にも毎年参加するようになりました。
今年5月には、プロの音楽総合企画の協力を得て2枚目のCD「指笛」を作成、発売(1,000円)しています。
これからは田村先生から教えていただいた指笛を一人でも多くの人に聴いていただくとともに、指笛が吹ける人を増やしていくために努力したいと思っています。
11月20日の「追悼演奏会」では、小さい頃テレビから流れてきた田村先生の指笛の音を忍んで「カッコウワルツ」を演奏したいと思っています。
2.人さし指のホロビッツ 中澤宏則
「ああ、あなた方は秋田県人ネ、私の父は秋田市です。」
昭和23年の暮れのこと、田村大三先生が同郷のドラマーと秋田弁で話しているのを、横で聞いていられた黒羽美都子先生が発した言葉でした。出会いには、目に見えない不思議な仲立ちがあるように感じていますが、秋田弁が、両先生の劇的な出会いの仲立ちをしたのでした。当時黒羽先生は、東京芸術大学の声楽科本科を卒業し、研究科在学中で、藤原歌劇団の新人ソプラノ歌手として、将来を嘱望されていました。「ぜひ、あなたの力で私の指笛を指笛音楽にしていただきたい。」
それから4ヶ月ほどした田村先生の誕生日に寄せて、直筆の色紙が届けられました。
海越えて 指笛の音ひろびろと 鳴り渡る日を 共に持たなん
「指笛を音楽芸術にしよう」と誓い合い、お二人は結ばれたのでした。
以来、想像を絶する、厳しい修行、研鑽が、日々昼夜、共に続けられたことでありましょう。
昭和31年1月からスタートした1回目のアメリカへの演奏の旅は、10ヶ月にも及びました。その折、ニューヨークNBCテレビに出演し、全米に放送されました。ワールド・テレグラム紙の記者は、「ダイゾウ・タムラは人さし指のホロビッツである」と評したのでした。お二人の並大抵でない研鑽の中から紡ぎ出された指笛音楽は、海越えて、ひろびろと鳴り渡り、天下の大ピアニスト・ホロビッツに並び称されるほどの絶賛を博したのでした。結婚からおよそ7年後のことでした。
NHK連続テレビ小説「あしたこそ」のテーマ音楽、文部省芸術祭参加公演、国語辞典への掲載、東宮御所での演奏、そしてカーネギーリサイタルホールでの55周年記念公演♪♪♪きらめく指笛音楽の金字塔です。晴れのカーネギーホールの演奏舞台には、美都子先生の遺影が共にありました。
お二人の夢は、「愛娘三人とも、音楽大学を卒業させたい」ということでした。三姉妹は、国立音楽大学の教育音楽学部、ピアノ科、声楽科をそれぞれ卒業されました。音楽芸術姉妹です。そして美都子先生亡き後、田村先生の晩年の20年を共にされたのはドラマテイック・ソプラノの声楽家・静海先生でありました。
指笛音楽を愛好する一人として、田村先生が創始された指笛音楽が継承されていくことを願ってやみません。(参考資料:「田村大三 指笛音楽六十年」)
3.第36回ゴーゴー広場のチャリテイ-ショ-への参加
松 谷 茂
舞台上の真ん中に大三先生の遺影を飾り追悼演奏いたしました。
7月4日、指笛楽友会として恒例となっている東京善意銀行友の会主催の新宿ゴーゴー広場でのチャリテイ-ショ-に参加しました。
このチャリテイー演奏会は、今年で第36回を数えますが、最初にこのステージを無償で使わせてもらうことになったのは当時東京善意銀行友の会の会長であった田村大三先生が直接三井不動産の社長江戸英雄氏にお願いしたところ「そういう趣旨の催し物であるならば55(ゴーゴー)広場を無償で使ってください。」とのお言葉をいただいたことが始まりだったそうです。(現友の会会長の磯野輝雄氏)。
今年は田村大三先生のこのご功績が紹介された上で指笛楽友会の演奏を大三先生への追悼演奏とする旨の磯野会長さんの説明がなされた中での演奏でした。
今年も恒例により東京リサーチ合奏団との共演でしたが当会関係の出演者と演奏内容は次のとおりでした。
まず杉田隆則さんが「千の風になって」「マイウェイ」の2曲、次に恵先生が「一晩中踊り明かそう」を指笛で協奏され、次に静海先生と恵先生がエーデルワイス」を指笛と歌唱で共演されました。最後に上記の方々に有吉憲行、有吉潤子、片山陽一、栗田勲夫、斎藤秀元、武井洋子、中村倫二、藤好清晴、藤好真也、松谷茂の10名が加わり、クワイ河マーチを共演しました。
今年は猛暑のせいか、会場の入りは今1つでしたが、舞台の前方の高架の通路にも多くの人が立ち止まり我が指笛楽友会の演奏としては初めて手拍子が沸き上がりました。みんなの大三先生への感謝と追悼の心が新宿のビル街を指笛音楽の千の風になって吹き渡っている感じでした。
4.事務局だより
1)指笛音楽創始者田村大三先生追悼演奏会(第76周年門下生研究発表会) 参加予定は(門下生分)は下記の方々です。
青山久美子 有賀 猛 有吉潤子 有吉憲行 安西武雄 奥津恭子
片井久雄 片山陽一 河津菊枝 神田竹良 倉木成伊知 栗田勲夫
小林信也 斎藤秀元 塩谷彰宏 杉田隆則 武井洋子 中澤 忍
中澤宏則 中村倫二 藤好清晴 藤好真也 船田弘子 松谷 茂
水沼武彦 村山壮人 吉田重雄 (50音順)27名
2)注意 今後の合同練習予定
① 9月25日 (土) 田村先生宅
② 10月16日(土) 練馬区立勤労福祉会館二階音楽室
(裏面案内図参照)
③ 11月13日(土) 会場未定
いずれも、13時~17時を予定しています。
なお、適宜の時間に役員会を持ちたいと思います。
斎藤秀元
問合せ先 中村倫二
松谷 茂
3) 1言集の原稿 のお願い(出演される方へ)
大三先生への思い、演奏曲についてなど自由で結構ですので、200字 以内のコメントをお寄せください。
提出先 竹中速雄さん
提出期限 9月23日
編集後記(松谷 茂)
灼熱、灼熱また灼熱のこの夏でした。
演奏に参加される方もされない方もくれぐれもご自愛ください。
次号は有吉さんです。原稿・情報がありましたらどうぞ・・・。