楽友会通信 No41

20105
指笛楽友会

惜 別

田村大三先生の訃報                               
 既にFax・電話などでお知らせしましたが、田村大三先生は平成
22年4月24日()午後4時38分に97歳でご逝去されました。

 人間の命であればいずれは避けられないこととは知りつつも、指笛音楽の創始者であり我が指笛楽友会の名誉会長でもあられました先生の死は、我々のみでなく広く社会的にもあらためて大きな衝撃でありました。

 著名な殆どの新聞にはこぞって先生の訃報記事が掲載され、その多くはニューヨークのカーネギーホールでの演奏を例に挙げて世界的な指笛音楽創始者の死を伝えました。

 ご逝去当日の4月24日(土)は奇しくも4月の「25の会」の日であり、10名程の会員は先生との最後のお別れに立ち会うことができました。

 因みに「25(にご)の会」は、大三先生が昭和9年5月25日に神田神保町の街角に立って指笛音楽を世に発表された日を記念して毎月開かれている会合で、原則として毎月25日に最も近い土曜日とする習わしで4月は24日になっていました。

 なんと、門下生が集まっている「25の会」の日に旅立たれた先生には何か運命的なものを感じざるを得ません。

 

 今回は取り急ぎその後の日程などを紹介し当面の追悼の心を捧げます。

 1.4月24日(土)朝、静海先生が大三先生の顔色の変化に気づき、掛かりつけの看護師・医師の判断でかなり危険な状態と判断されたそうです。      午後は一進一退の感じでその間、心配された銀座教会の長山牧師も駆けつけてくださいました。呼吸の変化に気づいた看護師の要請で医師が再度おいでになり午後4時38分死亡を宣しました。

 2.前夜式 4月27日(火)  午後6時00分~

   式場  日本基督教団 銀座教会 東京都中央区銀座4丁目2番1号

 3.葬儀  4月28日(水)  午後1時00分~3時00分

   式場      同上銀座教会  

   式次第が進み出棺前の献花が始まったとき、参列していた門下生20名程が先生のご功績を称えると共に、ご恩に感謝するため賛美歌「勝利の歌」を合奏しその音が銀座教会の礼拝堂に響き渡りました。

   葬儀終了後、10名程の楽友会会員はご遺族と共に代々幡斎場まで先生のご遺体にお伴して最後のお別れをしました。
       

                         (文責 事務局松谷)


 

弔辞

水沼武彦

 

 「全地よ愛に帰れ」とは田村大三先生の生涯を通してのスローガンであったと思います。

 私は先生に59年間ご指導を賜り、深く感謝しています。私は18才の時、「指一本の音楽」という小さな広告をキリスト新聞の中に発見しました。早速手紙を書き「指笛の吹き方」を送って頂き、夢中で取組みました。一週間程して音らしきものが出たのですが、指笛音楽を聴いたことのない私にとっては、それが本当の指笛の音かどうかわからず困っていました。そのことを先生に(したた)めました。テープレコーダーもない時代、群馬の田舎の貧乏高校生でした。すると、田村先生が奥様とご一緒にお越し下さり、教会にて演奏をして下さったのです。「静けき祈りの時はいと楽し」(讃美歌310番)でした。

 私の全身は震えました。それ以来、師の愛と指笛音楽は私の内に響き続けているのです。私も今後「全地よ愛に帰れ」のスローガンを受継いで行きたいと思います。

 指笛音楽は実に田村大三先生によって創始され、即ち日本で生れ、この音楽の波紋は世界に広がって行くでしょう。

 「指一本の音楽」に使命を感じ、全身全霊を注いだご生涯は真にご立派でありました。先生の愛唱讃美歌が思い浮かんで参ります。「わが行く道 いついかに なるべきかは つゆ知らねど 主はみ心 なし給わん。 そなえ給う 主の道を ふみて行かん ひとすじに」。(494番)

 指笛音楽一筋に生かされた田村大三先生のご生涯は真にハレルヤ!と申し上げたい。

 恩師が天国に召されて霊界との連鎖を思い御国を更に近くに感じ、御国にてまた会う日まで、弟子として励みたく願うのであります。

 先生の上に御神の祝福が豊かにありますように。また、ご家族の上に天末の慰めが豊かにありますようお祈り申し上げ、弔辞と致します。


≪目次≫

  中澤 忍・・・・・指笛音楽に魅了!

  有賀 猛・・・・・指笛楽友会入会にあたり

  事務局からのお知らせ


             指笛音楽に魅了!

この度、327日に「指笛楽友会」に入会しました、中澤 忍です。伝統ある指笛楽友の一員になれましたことを本当に嬉しく思っております。一生懸命がんばりますので宜しくお願いいたします。

私の指笛との出会いは、三つの出会いから始まります

一つ目は、小学校6年生の秋の遠足、高田城、松平15万石の城址廻りからです。私の故郷は、新潟県高田市です(現在の上越市です)。以前、NHKの大河ドラマ「上杉謙信」で一躍有名になったところです。遠足の昼休みで、生徒の皆が思い思いに城址の小高い丘で遊んでいる時のことです。恩師が、口に草を挟んで、何にも例えようのない美しい音色で曲を吹いておられました。それが草笛とは知るよしもありません。皆が恩師の周りに集まり、只々じっと聞いていました。次から次と曲を吹いていただきました。私が一番強く胸に刻まれたのが「荒城の月」でした。小高い丘の上、城址、大きな濠を舞台にして聞こえてくる、美しいメロディー「荒城の月」は何度も吹いてもらいました。恩師の真似をして、吹いてみても「音」のでるよしもありません。いつかの日には、きっと吹いてみたいと深く胸に思い幾十年過ぎました。その間、一度も草笛の音色も、もちろん吹いている人にも出会うことがありませんでした。

二つ目は、あの美しい音色の草笛を吹かれる方がおられると知り、胸をワクワクさせながら有名な向島百花園にいきました。庭園で美しいメロディーを草笛で吹いている方がおられました。まさにあの口に草を挟む(自分にはそう見えたが実際はむしろ口に草を押し当てる感じの)草笛です。その方こそ指笛楽友会の‘松谷先生’でした。あの懐かしい小学校6年生の思い出を蘇らせていただきました。時あるごとに、草笛、指笛を習いました。

三つ目は、草笛教室のあることをおしえてもらいました。その教室が斎藤先生の「MMC教室」です。平成19424日に入会させて頂き、丁度3年が経ちました。草笛、口笛、指笛を習っております。斎藤先生にはいつも笑顔で、手をとり、足をとり教えていただき感謝の念でいっぱいです。現在は、指笛はなんとかやっと‘音’がでるようになりました。今の自分をみると、“指笛”に強く強く魅かれています。そんな折、斎藤先生から「指笛楽友会」を紹介頂き勇気をもって入会致しました。

 目標は、‘発表会’に皆様と一緒に出られる様になることです。                           

 平成22年4月23日

中澤  忍  


指笛楽友会入会にあたり

今まで指笛という言葉に抱いていたイメージの中には音楽というものはありませんでした。漠然と抱いていた私の中での指笛のイメージは単音の合図、すなわち「呼び子」のようなものでした。しかし、そのイメージを変えてくれたのが 練馬区報に載っていた、「ネリママウスミュージックの会」会員募集の記事でした。

指一本で音楽を演奏するという事に強い関心を持ち早速入会させて頂きました。音の出し方、演奏の仕方を教えていただき、第一歩を踏み出す事が出来ました。

ただ、教えて頂いたようにやっているつもりでも、最初はなかなか音にならずに大変苦労致しました。

どうにか単音の音が出るようになったのは第二回目の集まりの頃だったでしょうか?大変感動したのを覚えております。

その後、音程、音量はなかなか定まりませんが簡単な演奏が出来るようになったのは第四回目の集まりの頃でした。

その頃、田村大三先生の記念コンサートを聴きに行く機会がありその澄んだきれいな音、叙情豊かな演奏に改めて強い感動を受けました。

この度、楽友会のお仲間に入れて頂く機会を得て、生来の不器用な私ですが、諸先輩の方々に助言を頂きながら、少しでも田村大三先生のような澄んだきれいな音色に近付けるよう、頑張りたいと思います。

今後共、宜しくご指導お願い致します。         
平成224
有賀  猛

☆☆☆☆☆☆ 事務局からお知らせ  ☆☆☆☆☆☆

   

6月26日(土)故田村大三先生の納骨式が行われます。

★ 従って626日(土)「25の会」中止になりました。   

① 25の会の日程&担当

  7月24日(土)有吉  828日(土)河津  925日(土)中村

  1023日(土)竹中  1113日(土)藤好

② 7月4日(日)新宿ゴーゴー広場でチャリティーコンサート(担当:中村綸二)

  PM230300頃の出演予定(出演する方はPM2:30集合)雨天中止!
    今年の発表会については前号でお知らせのとおり11/20(土)に決まっております。出演者募集内容等は決まり次第お知らせします。

 

  **** 寄稿のご協力有難うございました。編集責任 武井洋子 ****