楽友会通信  No.13

2001年12月指笛楽友会発行

先般、秋田魁新報に田村大三先生と指笛音楽の記事が大きく掲載されたことを通信12号でお知らせしました。その折り、仙北町芸術文化協会より町の文化祭に合わせて、本年も指笛の講習会とミニコンサートを開催したいので応援をしていただきたいとの依頼がありました。

今回は前回より一層力の入った企画で講習会の他に町の小学校2校と中学校1校で正規の授業時間の中で指笛音楽を演奏すること及び夕方には全国の学校の先生の集まり(健康教育推進事業)でのアトラクションとしての披露が追加されていました。

大変盛りだくさんの内容でしたが、大三先生、静海先生、竹中さん、有吉さんご夫妻が出演され、大変な歓迎を受け大成功をおさめられたとのことです。(静海先生のおことばによると「パーフェクトでした」とのことでした。

竹中さんがその様子を早速に報告くださいましたのでお届けいたします。

田村先生ご夫妻、仙北町訪問

10月28日,29日と田村先生の生まれ故郷、秋田県仙北町を訪ねました。田村先生の指笛を学校の生徒や生徒や町民に是非聞いてもらいたい、そして指笛の吹ける人を育てない、というこの町の強い要望があったのです。田村先生のお供をした有吉ご夫妻と私は、行く先々で田村先生を慕う多くの人々との出会いや感動をいただきました。

1.抱辺り渓谷

盛岡を過ぎ、田沢湖線を通って秋田に向かう新幹線小町は、雫石を過ぎたあたりからいくつものトンネルをくぐり、山あいの渓谷を縫うように走ります。スピードもゆるくなり、ローカル線のような味わいとなります。
秋も深まった山々は全山紅葉に衣替えし、楢の木は黄金色、ナナカマド、ハゼそして楓の紅がひときわ目立ちます。車内から歓声があがります。
「まあ、すばらしい紅葉だこと。紅葉を見せるためにゆっくり走っているのかしら」と静海先生。
「そんなことはないだろう」と田村先生。
それまで黙っていた先生ですが、故郷が近くなってくると饒舌になってきました。
「この辺に抱辺り(だきがえり)神社というのがあって、子供のできない人たちが昔よくお参りに行ったんだよ」と説明してくれました。
「子供を抱いて辺るということだろうね」
地図を見るとこの辺りは「抱返り渓谷」と呼ばれていることがわかりました。
自然の織りなす錦絵のような世界に心を洗われるひとときでした。

2.仙北町での講習会

28日(日)3時からは、文化祭が行われている仙北町ふれあい文化センターでの指笛講習会です。集まった方々は小学生、中学生そして4〜5人の大人合計約20人。
有吉さんが、初めて指笛を習う人のためにと、指と口の関係をイラストで描いてきてくれました。それを参加者に配布します。
有吉さんはまた、紙粘土で指の形や口の形まで模型を作ってきてくれたのです。これでわかり易く説明してくれました。
有吉ご夫妻と私達が演奏して吹いてみせます。大人も子供も熱心に指を口に入れて息を吹き出します。
その内、2年前に習ったという子供達の口から音が出始めました。りっぱな指笛の音です。小松くみさん、加藤しずかさん、斎藤のりこさんです。
遅れて到着した田村先生ご夫妻の講習が始まります。静海先生がピアノを使って3人の子供達に音階の指導です。次には易しい曲へ挑戦。そしてとうとう「ちょうちょう」の曲まで皆で吹いてしまいました。
最初は緊張してとまどっていた子供達も、終わってみると笑顔がとてもうれしそうです。
この子達がこれからも続けてくれるといいですね。
大人も子供も帰り際には田村先生と握手。

3.仙北町北小学校

29日(月)は3つの学校での演奏会です。まず9時30分から北小学校を訪問。
木造で教室すべてがオープンスペースとなっていて、住んでみたくなるような学校です。児童約200人。玄関を通り抜けると多目的ホールがあって、そこに子供達が三方から囲んだ形で座っています。左側の6年生のお兄さんお姉さんから、右側のあどけない1年生まで、興味津々といった顔で目が輝いています。
田村先生の「リスン・ツ・ザ・モッキングバード」が始まりました。そして静海先生の「小さい秋みつけた」、と続いていきます。
壇もなにもないホールで子供たちの目線のところで、指笛を吹いたり歌ったりするのです。私達の後ろにはこの仙北町でとれたお米の袋が積み重ねられてあります。
田村先生ご夫妻の指笛と歌による「エーデルワイス」と「森へ行きましょう」で演奏が終わりました。
子供たちの声です。
5年生の高橋えりかさん。「指笛の高い音、低い音が演奏できていいなあと感じました。わたしも練習して吹けるようになりたいと思いました。」
4年生、高橋きょうすけ君。「今日の演奏で、難しい曲がいっぱいあったけど、吹いたり、歌ったりできていいなあと思いました。」
3年生、高橋まさき君。「指笛を吹けるなんてすごいと思いました」
2年生、山田ちかちゃん。・・・(立ち上がってしばらく言葉をさがしています)・・・
(そしてはっきり言いました)「私はとても楽しかったです」
最後に6年生の五十嵐ゆきさんが、花束を持った1年生を伴って登場。
「仙北町へ来てくれてありがとうございました。すばらしい指笛を初めて聞きました。今度もまた来てください」
私たちは暖かい拍手に見送られました。

4.仙北中学校

10時30分から仙北中学校です。前述の北小学校と午後に訪問する予定の南小学校の子供達がこの中学校に進んでくるのです。
児童約280人。数々の合唱や吹奏楽のコンクールで優秀な成績を修めています。玄関を入るとすぐ目の前に栄光の部屋があって、数えきれないほどのトロフィーが所狭しと並んでいます。
渡辺校長先生の説明です。
「演奏会が近づくと、2年生、3年生がグループごとに1年生を指導します。彼らはこのくらいの曲なら何分かかり、どうしたらよいかわかるんです。生徒の数は多くても先生の役割は少ないんですよ」
音楽担当の女性先生が続けます。
「音楽を通じていろいろなことを学んでいるようです。ここでは世間で報道されるような問題はまず起こりません。音楽の力はすごいと思います」
校長先生はこうも言いました。
「生徒達は演奏会の経験が多いので、聞く態度も良いと思いますよ」
プログラムは滞りなく進行。校長先生のおっしゃる通りでした。講堂の椅子に整然と並んだ生徒達は田村先生の挨拶に元気よく応じ、演奏会や歌にすばらしい反応を示してくれました。
この学校には秋田テレビがカメラを持ってやってきました。指笛を吹けるようになった小松くみさんと田村先生の演奏を収録しようというのです。
田村先生と静海先生の演奏が終わりました。
小松さんが壇上に登り、田村先生と「ふるさと」の演奏です。88才と13才の共演です。ピアノは音楽の先生です。演奏が終わるとひときわ大きな拍手がわき上がりました。
小松くみさんのお礼のことばです。
「仙北町出身の田村先生の演奏を聞くことができてとてもうれしいです。田村先生のことを誇りに思っています。いっしょに演奏できてとても光栄でした」
小松さんがんばってください。期待してますよ。
(この様子は夕方6時20分から秋田テレビで放映されました。)

5.仙北町南小学校

午後3時、いよいよ田村先生の母校、南小学校訪問です。田村先生の指笛を讃える記念碑が校門を入ったすぐ左手の松の木の下に建てられています。
 案内された教室から窓外に目をやるとコスモスの花が揺れています。休耕した田圃にお母さん達が植えたものです。
 中山翠(みどり)校長先生のご挨拶です。
 「平成4年にこの学校に指笛の記念碑が建てられました。当時私は北小学校におりましたが、式典に招かれて出席しました。その時、田村先生の指笛を初めてお聞きして、全身しびれるような感動を覚えました」
 「この学校に赴任してからも子供達にぜひ聞かせてやりたいと願っていました。こんなに早く田村先生をお招きする機会ができて本当に喜んでいます」
 中山先生は続けます。
「あるとき、この学校宛にいただいた田村先生からのお手紙を拝見することがありました。そこには田村先生が大変好きな詩が紹介されていました。田村先生は小学校6年生のときにこの詩と出会い、このような人間になろうと決心したのです」
 中山先生は朗読します。
 「これがために
 たしかに生まれた 必要なからだ
 たしかに生きている まだ用事があるからだ
 われこれがために生まれたり
 はっきりと そう言いうるものを つかんだか」
 子供達にことばがしみこんでいくようです。
 田村先生が壇上に立ちました。米寿になった今また70数年前の母校に立っているのです。感極まった先生は沈黙しました。しばらくして口をついて出た言葉は、「感謝です」の一言でした。これまでの先生の生き方全てを凝縮したような言葉でした。
 演奏会は、田村先生の指笛、静海先生の歌と続きます。ここではアンコールも飛び出しました。
 「エーデルワイスの曲に感動しました。」という生徒代表のことばに送られ、拍手に包まれて、講堂中央を通ってお別れします。拍手は鳴りやみません。
 講堂の出口まで来たときです。突然田村先生が膝をつき、両手をついて見送る子供達、先生達にお辞儀をしたのです。拍手をしながら見送っていた先生達も膝をつきました。講堂全体が嵐のような拍手に包まれました。
 田村先生の本とCDが中山校長先生に寄贈されました。

6.オーソレミーヨ

柵の湯(さくのゆ)では、全国の学校の先生方の集まりで、健康教育推進事業が開催されていました。夕方6時からこの先生方の講習会で演奏です。

仙北町には中村秀男さんという異色の教育長がいます。校長先生を終えたあと、教育長になられた方ですが、仙北町あじさいコーラスの指揮者で、大曲市民合唱団の指揮者、そして秋田オペラ会の会員でもあります。一方で、仙北町板見内にある霊山寺の住職でもあるのです。
28日夕食会でそんなことが話題になり静海先生がそれを覚えていました。
田村先生、静海先生の演奏が続きます。田村先生はこの日朝から演奏を続けるうちに段々気分が高揚してきたようです。プログラムに予定されていなかった「荒城の月編曲」も披露しました。
演奏が終わったあとのことです。静海先生から、会場にいた中村教育長の紹介があり、「オーソレミーヨ」でもいかがでしょうか、ということになりました。
中村さんは最初躊躇していましたが、やがて大きな体を小さくして舞台にあがりました。
音楽が流れ始めました。
突然すばらしいテノールの歌声が会場一杯に広がりました。実に堂々とした歌い方です。右腕を上げ、左腕を差し出し、ときどき両腕を広げて声量たっぷりに歌い上げます。イタリア語の歌声が会場の隅々まで行きわたります。会場は水を打ったように聞き入っています。一番が終わると先生方からは弾けるようなやんやの喝采。そして二番は静海先生と合唱です。お二人の歌声が柵の湯の会場を揺るがしました。割れるような拍手がいつまでも続きました。
田村先生、感想を求められて、「いやあ、すばらしくて・・・。もう声も出ないよ」とぽつり。

7.おわりに

田村先生ご夫妻の訪問を準備段階から万端整え、多くの会場をご案内してくださった仙北町芸術文化協会の山崎文幸さん、熊谷さん。何とか仙北を指笛の町にしたいとがんばる会長の後藤さん。
田村先生の足跡をよく理解して受け入れてくれた北小学校、南小学校、仙北中学校の校長先生方。生徒達。
熱血住職・オペラ歌手・教育長の中村秀男さん。みんなを引っ張る小西町長。すばらしい方々との出会いがありました。皆さん本当にありがとうございました。
後藤さん、山崎さんは指笛の特訓をして既に曲が吹けるようになっています。熊谷さんは音が出始めました。参加した子供達にも音が出る子が出始めました。田村先生はじめ、これまで多くの方々が蒔いた種が確実に芽を出しています。
田村先生ご夫妻のこれまでのご活動とご人徳の賜と改めて痛感しました。今回有吉ご夫妻とともに先生方のお手伝いができたことを心から感謝しています。

最後に仙北町の熱血住職・オペラ歌手・教育長の中村秀男さんの言葉をご紹介します。

「文化のない町はダメだと思う」
「この町を指笛の里にしたいんだ」

指笛の町仙北町に幸あれ!

2001年11月2日  竹中速雄 記

参考:今回演奏したプログラム

  • リッスン・ツ・ザ・モッキングバード
  • フニクリ・フニクラ
  • 小さい秋みつけた
  • 上を向いて歩こう
  • 翼をください
  • ドナ・ドナ
  • 峠の我が家
  • エーデルワイス
  • 森へ行きましょう
田村先生
田村先生
静海先生
有吉ご夫妻
有吉ご夫妻
竹中
竹中
田村先生/静海先生
田村先生/静海先生