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楽友会メンバーチャリティショー出演

 

 平成12年9月30日(土)に東京厚生年金会館大ホールにおいて、日本チャリティ協会等主催の福祉活動推進のためのチャリティショーが行われました。その主題は「懐かしの映画音楽アルバム」ということで,田村先生ご夫妻始め、石井好子・笈田敏夫・菅原洋一・マーサ三宅・眞帆志ぶき・ボニージャックス・前田はるみ・富田かおるタップダンスカンパニー・東京リサーチ合奏団・安崎求・花山佳子・友部裕子・竹大和・竹山京季の諸氏が出演しました。
 指笛は第一部のオープニングの後すぐに、田村大三とそのグループという形でリサーチ合奏団の伴奏で行われました。第一曲は田村先生と門下生10名による「クワイ河マーチ」で会場を盛り上げ,第二曲は大三先生と静海先生の「エーデルワイス」が聴衆を魅了しました。
 楽友会で出演したのはオールドメンバーの代表と現在レッスン中の者の混成で、水沼・杉田・中村・河津・斎藤・武井・有吉・藤好(清)・奥津・村山(荘)の諸氏でした。当日は村山氏の発案で全員が衣裳を揃えました。男性はオレンジのTシャツと黒のズボン、女性は紫のTシャツという出で立ちでしたが、こらが一体感と好印象という効果を生んだようでした。もう一曲聴きたかったという声があったほどです。
 リサーチ合奏団との2回の練習と楽屋での中村さんによる特訓によって、本番はとにかく最高の出来だったと自画自賛している次第です。後日、チャリティ協会の高木理事長から田村先生の所に電話があり、当日は冒頭に会場を盛り上げて頂き大変感謝していますとのお礼を頂いたとのことでした。

(斎藤 秀)

〜コラム〜

あれれれ?:指笛グループの着替えが始まりました。
大三先生もご自分で衣裳替えをなさいましたが、蝶ネクタイがうまくおさまりません。武井さん、奥津さん、中村さんが順にお手伝いしてもおさまりません。先生もとうとうあきらめてこれでいいと決断、
そこへ静海先生が戻ってこられてチェック「これでいいのです」。
何とこのネクタイは大三先生のお手製でした。

 シリーズ「私と指笛」

指一本の音楽が深く心に刻まれた

 『指笛』この不思議な音楽を初めて聴いたのは、地方の劇場で昭和23年頃だったと思いますが、指1本の音楽が深く心に刻まれたことを記憶しています。その後昭和29年5月に上京することになったのを契機に指笛を習いたいと思い、電話帳で探しましたが蜜出ることが出来ずに断念しました。(後にわかったことは、電話の加入を申し込んでも仮設されるまでに3年以上かかる時代で、田村先生のご自宅には電話がありませんでした。)

 以来、指笛を聴く機会もなく忘れていましたが、昭和49年のある日に朝日新聞の多摩版に「指笛の移動教室」の記事が掲載され、参加したのを契機に入門しました。入門はしたものの、音が出るまでに一ヶ月以上かかりましたが、あきらめずに練習した結果、やさしい曲が吹けるようになったときの5月、神宮外苑の日本青年館で「指笛音楽40周年記念リサイタル」を聞いたとき、指笛は単にめずらしい音楽ではなく、人の心に響く音楽であると改めて感動しました。戦時中の音楽の授業といえば、飛行機の爆音を聞いて敵が味方か判断するためと称して、「ハホト」「ハヘイ」「ロニト」の和音の聞き分けを強制されたことを覚えているのみで、音楽の知識もなく中年になってから始めた事であり、指笛はいつになっても進歩しませんが、いつのまにか20数年の歳月が過ぎ去りました。

 この間にテレビ出演(その他大勢の一人として)、読売新聞の多摩版に「街の名人」シリーズの一人として掲載されたことなどは、一介のサラリーマンとしては考えられない出来事であり、懐かしい思い出となりました。指笛は上手になりませんが、「指笛創始者」の田村大三先生と面識を得たこと及び多くの知己を得たことは、私の人生において大きな収穫であったと感謝しています。

 

スペイン ゴメラ島訪問計画について

 前号で触れましたが少しずつ具体化しています。現在、発起人となるメンバーでTV局やスペイン大使館と連絡をとりつつあります。旅行業者はほぼ案をまとめてくれました。10月12日に中村・有吉・村山・斎藤で豊島区立地袋第三小学校に行ってきました。この学校はゴメラ島の隣のグランカナリア島にあるラスパルマス日本人学校と姉妹校になっています。スペイン訪問の際は是非立ち寄りたいと計画しています。現地の人々は日本文化に対して大変感心を持っているそうです。もう少し具体化したら実施計画をお届けします。

秋田県仙北町第三回指笛講習会報告

------------仙北町見聞----2000年8月7日〜8日

杉田隆則

仙北町は思っていたよりすべてに美しく楽しかったです。仕事以外のことでここ10数年旅という旅をしたことはなかったし,ましてあんなに遠くの町にまで(断っておくが決して否で云っているのではない。)
行ったのは、小生の近頃の生活の中ではむしろ偶発的事件であるかあるいはそれに等しく、またうれしくもあり、さしずめ白羽の矢を抱く武士の心境をチラリ持ち合わせた旅に挑んだと云うことになります。
迎えてくださった山崎さん(芸術協会事務局長)の車から見る緑の田圃や青く煙る山並みを見ると、何かしら使命感のようなものがムラムラと湧いてきて仕方がありませんでした。多少の時間の余裕があるとの事で、校門際(田村先生の出身小学校)の指笛記念碑の前に降り立ったときは、何だか無闇やたらに気持ちが高ぶっていました。
 それから、まだ時間が大丈夫ということで仙北町の史跡に案内され、その広大な展開を目のあたりした時は、改めて驚いていしまい感動しましたが、すぐ脳裏を横切ったものは、こんな所で指笛のソロやコーラスをやったら、さぞかし気持ちのいいものだが・・・と思いつつ山崎さんにそのことを話したら、山崎さんも何か意味ありげにうなずいていました。広さといい、景色といい、木や草、石ころ一つまでもが「指笛いらっしゃい」と手招きしているような錯覚に落ち入らんばかりでした。
 まったくもってすばらしいロケーションであることを皆さん(まだ見たことのない)にお知らせします。指笛音楽がここから出たということと合わせて。
 ふれあい文化センターには十分な音響機材が設置してあって申し分ありませんでした。小生は12年度の一回目ということですが、今後、この講習会の枝葉を広め、研究会・演奏会etcとあらゆるイベントに指笛を搦めさせていただき且つ注文して頂き、指笛の普及の為のチャンスを与えて下さるようお願いすることを思わずにはいられませんでした。また楽友会の方々にも講習・講演その他ありとあらゆるパーフォーマンスをこなすべく、そしていつでも指笛ミュージシャンとしてStand by OK!という体制作りに大いにストレッチに励むことが大切だ、と今度の仙北町訪問で痛切に感じました。今回のこの講習会によって小生は新たな滑走路に立たされ、気概を感じさせたれたのも事実であります。とりとめのないことかもしれませんが、帰路、車中で、ふと思いに耽ったものです。先ずは「仙北町ご報告」迄。
 最後にご一緒しました塩谷先生の指笛と話術には、小生も大きなカルチャーショックを受けました。勉強します。先生お疲れ様でした。
 (追記)講習会の情況について
 初日は女性6名と男子数名。家族的雰囲気の中、塩谷先生の「エ」な話と指笛講習で音の出た人1名。小生も引き続き行い、持参の「絵」を用いて何とかしのぎました。
 二日目は早々と「ちびっ子」連がやはり数名でにぎやかでしたが、総数で前日よりやや少なめでした。が、塩谷先生のリードで快調に進み、笑いと話で会場が湧きました。後藤会長(芸術協会)と山崎さんも熱心に参加してくださいました。
 最後になりましたが、今回の反省も含めまして思い当たる事をあげて見ます。

(1)  講習にあたって、簡単な教材(図・絵)の必要性。

(2)  構造的な単純な模型などの製作。

(3)  「音」の出る仕組みと失敗するケース(フォーム)の明解な説明力を修得する。

(4)  講習を補佐できるような関連図書などの活用。

○●△□■◇◆◇◆◇◆各地の活動◇◆◇◆◇◆◎◆◇◆◇◆

※ 8月30日、村山壮人氏所属の東京千代田区ロータリークラブの要請で、指笛の指導に行って来ました。会場はホテル グランドパレス、で中村・藤好清・武井・斎藤の4名が参加しました。30数名の出席がありましたが、さすが各業界のリーダーだけあって覚えがよく、30分ほどの間に5〜6名の方が音を出すことが出来ました。忙しい方々ですから続けてくださるかどうかが問題ですね。

※ 10月1日、第一回指笛・草笛コンサートが群馬県草笛愛好会浜北支部、群馬県前橋指笛・草笛クラブの皆さんが出演されました。詳細は水沼氏にお尋ね下さい。

事務局より

♪ 田村大三先生の88歳(米寿)記念講演が2001年4月21日(土)に
   神宮外苑の日本青年館で開催されることが決まりました。すでに会場は確保されています。

♪ 厳しい残暑の後、急激に冷え込む日々がやってきました。
   健康にご留意なさってお過ごしください。